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優しくてわがままだった
“複雑な”天才の記録。 

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photograph byTamon Matsuzono

posted2004/07/01 00:00

優しくてわがままだった“複雑な”天才の記録。<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

 '94年5月1日、イモラ・サーキットの不幸な事故から10年の月日が流れた。世界中のファンの心で、今も喪失感は消えない。

 '04年のサーキットでは佐藤琢磨がドライブするB・A・Rホンダが疾走し、琢磨の活躍、ホンダの躍進が人々の心をフォーミュラ・ワンに呼び戻す。'89年以来、グランプリ現場に足を運ぶ取材者でもある訳者、今宮雅子は言う。

「佐藤琢磨の活躍でF1を見始めた方々は、アイルトン・セナのドライビングを目にしたことがない。そういう方から尋ねられるんです。『セナはどういう人だったんですか?』と。だからこそ、ジャーナリスト、フロワサールが、セナをきちんと描いたこの本をファンの元に届ける必要があると思いました」

 リオネル・フロワサールとセナの出会いは、彼がまだ無名だった10代の頃に遡る。カートを操る少年に出会い、ドライビングスタイルに魅了された。その後は、グランプリの週末はもちろん、オフにはブラジルの自宅でくつろぐセナに耳を傾けた。フロワサールが描いたセナは、“複雑な人”だった。

「セナは、優しくてちょっとわがままな人ではない。すごく優しくて、ものすごくわがままだった。いろんな個性が、すべて極端に共存していたんです。フロワサールはこの本で、セナの個性を良い悪いと判断はせずに、ありのままに描いた。人間・セナをどう捉えるかは、読む方に任せたんでしょう」

 この本の一つのクライマックスは、'91年のブラジルGPだ。表彰台には、痛みに顔を歪めながら、母国での初勝利を噛みしめるアイルトン・セナがいた。レース終盤、トップを走っていたマクラレーン・ホンダのギアボックスには深刻なトラブルが発生していた。さらに、シートベルトがきつく締まりすぎたため、彼の右足、右腕には痙攣が広がっていた。

 気まぐれなギアボックスが完全に壊れることを恐れ、セナはギアを6速に入れ、二度と変速しなかった。高速の長い左コーナーからストレート、急激な下り坂の1コーナー、曲がりくねったインフィールドセクション。ドライバーにとって最も苛酷なコースであるインテルラゴスを、アクセルとブレーキだけでコントロールし、痛みに耐えて走り続けた。

「レース後、イギリスのファクトリーに戻った時も、マクラーレンのギアは6速に入ったままだったと聞きました。マシントラブル、身体の痛み、降り出した雨による滑りやすい路面。三重苦を抱えながら、セナはウィリアムズの追い上げを振り切って勝ちました」

 ゴールの後、彼のマシンはコース上で動かなくなった。

「憔悴したセナを見て、あるスポーツドクターは『あの状態でF1を走らせていたことは、医学的に説明が不可能』と言いました。ただ、『人は精神によって本来無い力を生み出すことがある。例えば、子供が車に撥ねられそうになった瞬間の、母親の反射神経のように』とも」

 雨に濡れたグランドスタンドは、いつまでも人々の歓喜に揺れていた。

「翌日、サンパウロの街ではホテルの従業員もみやげもの屋のおばさんも、誰もが笑顔でした。経済的に不安定な中、日常の苦労を忘れて街中が幸せに満ちていた。セナがやり遂げたことの意味を、あらためて感じました。スポーツは、観る人を幸福にできるんだ、と」

 初めてカートを操った日の記憶。ライバルの妹に抱いた恋心。母国への郷愁。プロストと繰り広げた闘争。エピソードの一つ一つが、セナの真実と軌跡を雄弁に伝えている。

 『アイルトン・セナ――真実と軌跡――』 (文春文庫PLUS)

■関連コラム► ブラジルの地で、セナを思う。 (04/11/02)

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