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反射神経を越えた、イチローの思考。 

text by

津川晋一

津川晋一Shinichi Tsugawa

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photograph byYukihito Taguchi

posted2007/06/28 00:00

反射神経を越えた、イチローの思考。<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

 忘れ去られてしまうには、あまりにもったいないプレーがあった。5月29日アナハイムで行われたエンゼルス対マリナーズ、4回裏の出来事だ。

 時計の針は午後8時を指していた。その時、クインランの打球が中堅で守るイチローのもとへ飛んだ。余裕を持って捕球すると誰もが思った瞬間、いきなりイチローが後ろを振り返った。打球は約3m後方へ落ちた。「センター方向に来たのは分かりましたよ。ただ、その後は……」

 実はこの時、空が真っ白になり打球が消える、いわゆる“薄暮”の時間帯だった。外野手にとって最も厄介な、魔の数分間だったのだ。「『絶対にフライは来るな!』っていう念力が弱かった。その意味では(自分を)責めるね」と独特の言い回しをしたが、要は名手をしてもお手上げだったというわけだ。結果はもちろん失策ではなく二塁打。イチローですら薄暮には勝てなかった、という論調でメディアも取り上げた。

 だが、改めて中継画像で確認すると、イチローは確かに「I got it(俺が捕る)!」と幾度も叫び、さも万全の体勢で捕球するかのような姿勢を見せている。ここに、隠れたファインプレーがあった。「バッターの心理を考えれば、見失った感じを出したくなかった。三塁まで行くからね。できるだけ普段の動きに近く振る舞わないと力を緩めてくれないから」。つまりは、打者走者を欺いて二塁打にとどめた、トリックだったという訳だ。

 オンプレーでのあらゆる可能性を想定して、事前にイメージトレーニングをしていたのか。用意周到なイチローならば十分に考え得るが、そこは笑って否定する。「そんなことないよ。打球が消えることは知っているし、そういう可能性をいつも考えてはいるけど、声を出すっていうのは、消えた瞬間の判断だね」。反射神経が働き、打球の行方を探そうとしても不思議ではない。ところがイチローに限っては、肉体の反応よりも瞬時の思考が優ったのである。敵も味方も、球場の誰をも巻き込んだ、究極のアドリブ……。

 「僕はドラマにも出ているしね、そこは役者にならないと。バカ正直になったらダメでしょう。そういうことです(笑)」

 この巧妙な手口、あの“警部補”ならば見破って、コートをなびかせ三塁まで走っただろうか。

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