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【甲子園ベスト4】「私はそこに塩コショウや醤油を…」県岐阜商の“掛け算”成長と監督が滲ませた“伝統校”としてのプライド「選手に求めたのは考える力」
強豪私学を次々となぎ倒す痛快劇。公立校、唯一のベスト4である。世間はその現象を旋風と呼び、物語性に浸る。
チームを率いる藤井潤作は「公立校」をクローズアップされるたびに、言い訳を遮断するようにこう言っていたものだ。
「時代の流れとともに不利な部分は正直、感じますが、勝負においてそういったことは関係ないと思います」
藤井に同調しながらも「むしろ」と付け加えるのは、部長の上畑将である。
「岐阜県の子たちは『県岐商』を目指して入学してきて、胸を張って戦っています。公立と言われても……」
県立岐阜商業。
岐阜では「県岐商」と親しまれ、戦前に4度の日本一、今年の夏を含め61回の甲子園出場を誇る。全国の強豪と比肩してもその実績は屈指だ。
だからこそ、令和の時代を生きる今の選手たちにとっても「名門」の意識が強い。
4番バッターの坂口路歩の祖父・清貴は、1969年のセンバツに出場しベスト8。父の輝光がいた'99年夏も甲子園に出場している。「親子3代」で血を繋いでいくことは、彼からすれば当然なのだ。

「物心がついた時から、自分は『県岐商に行くもんだ』と育ってきて。自分はおじいちゃんとお父さんを『絶対に超えよう』と、日本一になるために頑張ってきました」
藤井が副部長だった2009年夏にベスト4となったあたりまでの県岐商は、まだ岐阜をリードできる存在だった。一方、彼が「時代の流れとともに」と言っていたのもちょうどこの時期にあたり、私立の大垣日大が覇権を握る年も多くなっていく。
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