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【甲子園ベスト4】「私はそこに塩コショウや醤油を…」県岐阜商の“掛け算”成長と監督が滲ませた“伝統校”としてのプライド「選手に求めたのは考える力」

2025/08/28
準々決勝・横浜戦は延長タイブレークで勝利。試合後、祖父、父親と3代続けて県岐阜商出身の坂口路歩が左腕を掲げて喜ぶ
私学を打ち破るたびに加熱する報道に選手や関係者は違和感を感じていた。なぜなら日本一4回という実績に対する誇りを持って戦っていたのだから――。(原題:[16年ぶりのベスト4]県岐阜商「公立ではなく伝統校として」)

 強豪私学を次々となぎ倒す痛快劇。公立校、唯一のベスト4である。世間はその現象を旋風と呼び、物語性に浸る。

 チームを率いる藤井潤作は「公立校」をクローズアップされるたびに、言い訳を遮断するようにこう言っていたものだ。

「時代の流れとともに不利な部分は正直、感じますが、勝負においてそういったことは関係ないと思います」

 藤井に同調しながらも「むしろ」と付け加えるのは、部長の上畑将である。

「岐阜県の子たちは『県岐商』を目指して入学してきて、胸を張って戦っています。公立と言われても……」

 県立岐阜商業。

 岐阜では「県岐商」と親しまれ、戦前に4度の日本一、今年の夏を含め61回の甲子園出場を誇る。全国の強豪と比肩してもその実績は屈指だ。

 だからこそ、令和の時代を生きる今の選手たちにとっても「名門」の意識が強い。

 4番バッターの坂口路歩(ろあ)の祖父・清貴は、1969年のセンバツに出場しベスト8。父の輝光がいた'99年夏も甲子園に出場している。「親子3代」で血を繋いでいくことは、彼からすれば当然なのだ。

ベスト4入りを決める殊勲打を放った坂口 Hideki Sugiyama
ベスト4入りを決める殊勲打を放った坂口 Hideki Sugiyama

「物心がついた時から、自分は『県岐商に行くもんだ』と育ってきて。自分はおじいちゃんとお父さんを『絶対に超えよう』と、日本一になるために頑張ってきました」

 藤井が副部長だった2009年夏にベスト4となったあたりまでの県岐商は、まだ岐阜をリードできる存在だった。一方、彼が「時代の流れとともに」と言っていたのもちょうどこの時期にあたり、私立の大垣日大が覇権を握る年も多くなっていく。

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photograph by Hideki Sugiyama

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