その重圧は腕章を巻いた者にしかわからない。常に監督と選手たちをつなぎ、チーム状態が悪ければ批判の矢面に立つ。「W杯より五輪」だった'80年代から、W杯8強を目指す現在まで。4人のリーダーに日本代表主将の葛藤と喜びを訊く。
重い。とにかく重いという。誇りと名誉の証とも言うべき腕章だ。ただ1人、それを巻くのがキャプテンである。
日本代表のそれともなれば、なおさらだろう。選ばれし者たちの宿命と言ってもいい。まさしく試行錯誤。歴代のキャプテンたちの振る舞いは、そのまま日本サッカーの歩みと重なるかのようだ。
必ずしもキャプテンに理想の像があるわけではない。時代を超えた普遍的なものがある一方、その時々の環境や条件に少なからず影響を受ける。
だからこそ十人十色。各々が独自の世界観をつくりあげてきた。1980年代以降の主将たちに焦点を絞れば、多様な個性がいっそう際立って映る。
'80年代と言えば、ワールドカップなど夢のまた夢。日本代表はアマチュアの集まりであり、最大の目標はオリンピックの出場権を勝ち取ることにあった。
そうした時代に主将の任を託されたのが加藤久である。あれはロス五輪の出場権を逃した後だから、'84年のことだった。
「森(孝慈監督)さんがロス五輪の視察に連れて行ってくれた。その裏には『これからの代表を頼むぞ』という思いがあったんじゃないかと」
当時28歳。初代表から7年後のことだった。主将を務めるにあたり、加藤は2つのことを自らに課したという。1つはどんな試合でも必ずスタメンに名を連ね、ピッチに立ち続けることだった。
「それこそ、第1の条件だと思った。そのために準備を怠らず、試合では持てる能力を出し切るように努めた」
ベンチを温めていたら、何のための主将かというわけである。もう1つの誓いは、いかにも加藤らしいものだった。
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