かつて大舞台になればなるほど力を発揮していた少女は、いつの間にか試合で精神面の脆さを露呈するようになった。自分自身の壁を越えるために――。アメリカでの日々と、アクシデントを乗り越えた連戦で見つけたものとは。(Number991号掲載)
2016年3月、中学2年生で初めて出場した世界ジュニア選手権で優勝。翌年はアリーナ・ザギトワに一歩及ばなかったものの、ショート、フリーともに完璧な演技で銀メダル。本田真凜はジュニアでは周囲からも大きな期待を寄せられる存在だった。
シニアデビューとなった'17-'18シーズンは、平昌五輪イヤーだった。かねてから目標としてきたオリンピックへの出場を誓い、開幕を迎えた。
だが挫折が待っていた。
シーズンを通してミスが続き、全日本選手権でも7位。夢はかなわなかった。
'18年3月、本田は1つの決断をする。
「環境を変えて、新しくスタートしたい」
選んだ先はアメリカ。ネイサン・チェンらを指導するラファエル・アルトゥニアンコーチに師事する道だった。
「ジャンプをトップの選手についていけるようにしたいというのがいちばんです」
渡米すると、ジャンプの新たな跳び方やステップの種類を学んだ。
試合で緊張を感じるようになった。
「スケート中心の生活になっています」
と、アメリカでの時間を表現した。
'18-'19シーズンが開幕するも、アメリカでの練習の日々は、すぐには成績に直結しなかった。グランプリシリーズではスケートアメリカで8位、フランス杯では6位にとどまり、全日本選手権は15位と4度目の出場でワーストの成績に終わった。
試合を振り返りながら、気づいたことがあった。試合が緊張する場になっている事実だった。
「精神面であまり強くないと感じました」
ジャンプで1つミスが出ると不安な気持ちに包まれるようになっていた。
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photograph by Nobuaki Tanaka