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詳細な考証で解き明かす子規の野球パイオニアぶり。 ~偉大なる文人のベースボール論~

2015/06/30

 子規の野球好きはよく知られる。ただし、最も有名な話が、ベースボールを自分の幼名の升のぼるに重ね“野ボール=野球”と訳した「野球の名付け親」という誤解なのが困る。34歳で亡くなった偉大な文人と野球の関係は、この伝説だけで十分……という感じなのだ。本書は、子規が日本野球の草創期に「バット一本球一個を生命の如くに」思ってプレーし、野球用語の翻訳を試み、観戦の楽しみまで筆を執って伝え、その普及に努めた日本野球のパイオニアの一人だったことを訴える。

 子規と野球との出会いは松山から上京した明治16年(1883年)頃だった。練習の場所は日本初の組織的な野球チームの新橋アスレチック倶楽部のグラウンド。このチームを創ったのが米国帰りの鉄道技師・平岡熙(ひろし/殿堂入り)だ。一高の子規の同窓には、「野球」の訳語を創案した中馬庚(ちゅうま・かのえ/殿堂入り)もいた。

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photograph by Sports Graphic Number

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