“絶対王者”が華々しく現役生活に幕を下ろした。怪我に悩まされ、
がん闘病生活も余儀なくされながら、なお消えなかった闘争への本能。
25年間、誰よりもプロレスを愛し、 リングに人生を捧げてきた。
すべてを出し切った男の顔に“後悔”の影はなかった。
がん闘病生活も余儀なくされながら、なお消えなかった闘争への本能。
25年間、誰よりもプロレスを愛し、 リングに人生を捧げてきた。
すべてを出し切った男の顔に“後悔”の影はなかった。
座右の銘「一生懸命」。5月11日、プロレスラー小橋建太はその言葉通り、観客1万7000人の心をひとつにして、思い出いっぱいの日本武道館で完全に燃え尽きた。
師ジャイアント馬場、兄貴分ジャンボ鶴田が生前、果たすことのできなかった引退試合を、“ベストバウト”を繰り広げた戦友たちと、自分の弟子である元付き人4選手を相手に、激闘の39分59秒で締め括った。
青春の握り拳からムーンサルト・プレス……完全燃焼の39分59秒。
叩き込んだチョップは渾身の187発。第6代GHCヘビー級チャンピオン時のベルトをつけた“絶対王者”は、必殺技のバーニング・ハンマー(変型の垂直落下式ブレーンバスター)こそ出さなかったものの、青春の握り拳を合図に十八番のムーンサルト・プレス(宙返りフライング・ボディプレス)で相手を沈め、25年のプロレス人生にピリオドを打った。
過去、こうした形で引退試合を行ない、選手生活にケジメをつけたトップレスラーは、1998年4月4日(東京ドーム)のアントニオ猪木しかいない。リングのど真ん中に立ち続けた四半世紀、ラストマッチを終えた小橋は後輩レスラーへ「ひとつのプロレスラーの道しるべができたかなと思います」とメッセージを送った。
46歳1カ月。186cm、115kg。プロレスに燃え、プロレスに人生を捧げた男は、業界をリードしたゴジラでもあった――。
「引退は自分でしっかり決めたことなので、後悔はありません」
熱狂の武道館から3日後、初夏を思わせる暑さのなか、黒の半袖シャツ姿でインタビューの席にあらわれた小橋は少し眠そうだった。もうプロレスラーではない。筋肉の鎧を外したかつての“鉄人”は言葉を噛み締めながら穏やかに心境を語りだした。
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photograph by Essei Hara/Tadashi Shirasawa