2001年のフォレイカー(5304m)で栗秋が撮影した写真。最終キャンプの雪洞内から見たデナリ / photograph by Masatoshi Kuriaki 栗秋が自ら撮影したハンター(4442m)。アラスカ山脈では3番目に高い ©Masatoshi Kuriaki 福岡の栗秋の自宅で話を聞いた ©Kei Nakamura 栗秋の「スポット」。2016年4月1日に「911」のボタンを押した ©Kei Nakamura 当時のメモ。「4/1 とうとうSPOTの911ボタンを押した」と綴られている ©Kei Nakamura 栗秋の著書『山の旅人 冬季アラスカ単独行』(閑人堂) キャンプ3(3100m)からキャンプ2(2620m)に降りてきて、そこで停滞を余儀なくされた ©Kei Nakamura 栗秋が撮影したハンター。雪洞を掘る前のキャンプ2。まさに、この地点で救助されたという ©Masatoshi Kuriaki キャンプ2の雪洞内の様子 ©Masatoshi Kuriaki 2007年、フォレイカーの頂上アタックの途中(4470m地点)で栗秋が自ら撮影した写真。フードに縫い付けたオオカミの毛皮が顔面の凍傷を防いでくれるという ©Masatoshi Kuriaki 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2016年、人生初の“遭難”をしたハンター。キャンプ3(3100m)の雪洞から栗秋が撮影した写真。目の前に見えるのはフォレイカー(5304m)の一部 ©Masatoshi Kuriaki 2007年のフォレイカーで栗秋が撮影した写真。キャンプ2(2980m)から、ルートである南東稜を見上げたものだという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したデナリ(左)とハンター(右)のオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 自宅に飾ってあった海外の登山雑誌の表紙には登山中の栗秋が ©Kei Nakamura 2016年に栗秋が人生で初めて“遭難”したハンター(4442m) ©Getty Images 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2007年フォレイカーで栗秋が撮影した写真。最終キャンプ上のナイフリッジ。左端の稜線付近が登頂日のビバーク地点だという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したフォレイカーのオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 「ピアノが山へ行けない時間を埋めてくれました」と語った栗秋 ©Kei Nakamura 右手人差し指は第一関節から先がない。大学4年のとき、バイク清掃中に、チェーンに巻き込まれた。今も血行は戻らず、「この指だけ寒さに弱い。なので、この指で寒さを感じ、凍傷にならないように気をつけていました」と語る ©Kei Nakamura 次女の透子(とうこ)ちゃんと。オーロラの光をイメージして命名したという。長女は蒼子(そうこ)ちゃんで氷河の色をイメージした ©Kei Nakamura 栗秋の自宅玄関の前で ©Kei Nakamura

2007年のフォレイカーで栗秋が撮影した写真。キャンプ2(2980m)から、ルートである南東稜を見上げたものだという ©Masatoshi Kuriaki

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2001年のフォレイカー(5304m)で栗秋が撮影した写真。最終キャンプの雪洞内から見たデナリ / photograph by Masatoshi Kuriaki 栗秋が自ら撮影したハンター(4442m)。アラスカ山脈では3番目に高い ©Masatoshi Kuriaki 福岡の栗秋の自宅で話を聞いた ©Kei Nakamura 栗秋の「スポット」。2016年4月1日に「911」のボタンを押した ©Kei Nakamura 当時のメモ。「4/1 とうとうSPOTの911ボタンを押した」と綴られている ©Kei Nakamura 栗秋の著書『山の旅人 冬季アラスカ単独行』(閑人堂) キャンプ3(3100m)からキャンプ2(2620m)に降りてきて、そこで停滞を余儀なくされた ©Kei Nakamura 栗秋が撮影したハンター。雪洞を掘る前のキャンプ2。まさに、この地点で救助されたという ©Masatoshi Kuriaki キャンプ2の雪洞内の様子 ©Masatoshi Kuriaki 2007年、フォレイカーの頂上アタックの途中(4470m地点)で栗秋が自ら撮影した写真。フードに縫い付けたオオカミの毛皮が顔面の凍傷を防いでくれるという ©Masatoshi Kuriaki 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2016年、人生初の“遭難”をしたハンター。キャンプ3(3100m)の雪洞から栗秋が撮影した写真。目の前に見えるのはフォレイカー(5304m)の一部 ©Masatoshi Kuriaki 2007年のフォレイカーで栗秋が撮影した写真。キャンプ2(2980m)から、ルートである南東稜を見上げたものだという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したデナリ(左)とハンター(右)のオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 自宅に飾ってあった海外の登山雑誌の表紙には登山中の栗秋が ©Kei Nakamura 2016年に栗秋が人生で初めて“遭難”したハンター(4442m) ©Getty Images 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2007年フォレイカーで栗秋が撮影した写真。最終キャンプ上のナイフリッジ。左端の稜線付近が登頂日のビバーク地点だという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したフォレイカーのオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 「ピアノが山へ行けない時間を埋めてくれました」と語った栗秋 ©Kei Nakamura 右手人差し指は第一関節から先がない。大学4年のとき、バイク清掃中に、チェーンに巻き込まれた。今も血行は戻らず、「この指だけ寒さに弱い。なので、この指で寒さを感じ、凍傷にならないように気をつけていました」と語る ©Kei Nakamura 次女の透子(とうこ)ちゃんと。オーロラの光をイメージして命名したという。長女は蒼子(そうこ)ちゃんで氷河の色をイメージした ©Kei Nakamura 栗秋の自宅玄関の前で ©Kei Nakamura

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