Sports Graphic NumberBACK NUMBER

石川佳純が初のハーフマラソン挑戦で実感。アシックス「It's My Day」プロジェクトが提唱する、日常を豊かに彩るライフスタイル

posted2026/05/25 11:00

 
石川佳純が初のハーフマラソン挑戦で実感。アシックス「It's My Day」プロジェクトが提唱する、日常を豊かに彩るライフスタイル<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

ぎふ清流ハーフマラソン(4/26開催)に参加した石川佳純さん

text by

石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 私たちの生活は日々過密なスケジュールに追われ、自分のための時間は知らぬ間に削り取られ、心と身体がどこかに置き去りになってしまいがちだ。

 スポーツというとどこか特別なものととらえられ、ストイックな自己研鑽や限界への挑戦をイメージするが、アシックスが始動させた「It's My Day これが私の今日のよろこび」が描くのは、運動は特別なことではなく、日常の小さな喜びから始まる――そんな新しい考え方を広げるプロジェクトだ。

 しかし理想の自分を思い描いても、運動を始めるまでには「時間がない」「続かない」といった壁がいくつも立ちはだかる。

 スポーツ庁が実施した「令和7年度 スポーツの実施状況等に関する世論調査」では運動を週に1日以上できない理由の第1位は「面倒くさいから(31.8%)」で、次いで「仕事が忙しいから(28.6%)」という結果が出ている。

1日の1%「15分9秒」の目安

 運動を始められないのは、意志が弱いからという理由や怠慢からではない。現代人が抱える3つの壁が、最初の一歩を静かに重くしている。

 1つ目は決まった時間を確保できない時間の壁、2つ目は残業や育児によって日々激しく変化する状況の壁。そして3つ目はスポーツとは本格的に、しかも完璧にやらなければならないというイメージの壁だ。

 このプロジェクトが示す解決策は、これまでの常識を静かに覆すものだ。これまで運動とみなされてこなかった、掃除での屈伸や仕事中の移動といった日常の動きさえも、ひとつのアクティビティとして肯定している。運動を特別な行為から、すでにできていることへと再定義することで、心のハードルは低くなる。このハードルをさらに現実的にするために用意されたのが、「15分9秒」という具体的な目安だ。これはアシックスの研究に基づいたココロを前向きにするために必要な時間で、1日24時間のうちわずか1%に相当する短い時間だ。

 このプロジェクトでは1%の時間を特別なトレーニングに限定せず、たとえば駅の階段を一段飛ばしで上がったり、重い買い物袋を抱えながら歩くこと、デスクワークの合間に深くストレッチすることなどが当てはまり、「今日も動けた」という自己肯定感は、ポジティブな循環を生み出すといえる。

 この1%の積み重ねは人生をいかに豊かに彩るといえるのだろうか。

石川佳純の新しいチャレンジ

 その象徴的な姿をかつてアスリートとして、世界の頂点を目指した石川佳純さんが体現。順位やタイムを競う舞台ではなく、一般の市民ランナーとともに、4月下旬に行われた「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」に、初めて挑んだのだ。

 卓球という勝負の世界で、常に極限まで自分を追い込んできた石川さんにとって、「走る」ことは、かつてはトレーニングの一環であり、勝利を得るための冷静な判断に基づいた手段だった。

「走ることで良い方向に進んでいたのは間違いないですね。でも現役時代は走るのが好きかといわれたら、好きでやっていたというわけではないです」

 2023年の引退後は日常の中で運動を続ける難しさを実感する一人だった。

 再び走り出すきっかけとなったのは、2025年4月に行われた『Run for Reforestation Challenge』で5kmを走ったことだ。

「それまでは(トレーニングなどで)1人で走ったことしかなかったので、みなさんと一緒に走ったのがすごく楽しかったんです。その後、(高橋)尚子さんや有森(裕子)さんに『ハーフマラソンにチャレンジしなよ』『できるよ』と勧めていただいて、挑戦したくなりました。それに健康の促進、体調や体型の維持にもつながると思ってランニングを始めました」

 かつての石川さんにとって、成長とは無理をしてでも限界を超えようとすることだった。

 しかし、今は日々の練習で少しずつ走れる距離が伸びたり小さな課題を克服する、そんな静かな変化の中に、確かな成長を感じている。

 もちろん練習が予定通りにいかないことや身体が重く感じる日もあるが、「予定通りにいかない日も含めて楽しいですね」と、うまくいかないときも否定せず、喜びとしてポジティブに受け入れている。

追い込まずに、楽しさを優先

 ハーフマラソン出場へ向け、昨年末から始めた練習は、今年2月の1カ月間に及ぶイタリア・ミラノの滞在によって一度リセット。帰国直後は5kmも走れなかったという。

「できるときは週に1~2回ほど走っていい感じに仕上がってきていたんですが、振り出しに戻ってしまって。帰国直後は走るのがきつくて、めっちゃ泣きそうになっていました」

 そんな彼女を救ったのは、かつての自分ならおそらく許さなかった、自分でつくった新たなルールだった。

「無理はしない」「嫌な日は休む」

 コンディションの波を受け入れ、ときには友だちと待ち合わせて走る楽しさを優先する。追い込むことが当たり前だった現役時代とは真逆の考え方だ。その心理的な余裕が、「走ることが好きになりました」という感情にもつながっていったという。

 高橋尚子さんやランニングコーチを務めた池田美穂さんらのアドバイスも大きかったと石川さんは感謝する。

「尚子さんとは一度、皇居も一緒に走りました。そのときにアドバイスもたくさんいただいて、レースの3日前からは白ご飯(炭水化物)を積極的に摂ったり、レース当日の朝も初心者は膝が痛くなるからと股関節を中心に念入りなストレッチをして準備しました。池田さんからは『飛ばしすぎないようペースを守って』とアドバイスがあったので、レースでは余力があって飛ばしたくなっても、1km7分20秒のペースを守って走りました」

 当日は13~14kmあたりで少しきつくなり、距離が長く感じられたというものの、沿道からの大声援に背中を押された。

初ハーフマラソンの結果は…

「私だけではなく走っているランナーみなさんに対してですが、びっくりするくらい大きな声で『頑張れ!』とめちゃくちゃ応援していただいて。そんなに力強く応援されるのは、現役時代以来、久しぶりのことだったので、それが本当にうれしくて。あらためて応援の力って大きいなとしみじみと感じました」

 同じレースに出場した見ず知らずのランナーとは「頑張りましょう」とお互い声を掛け合いながら、ハイタッチして交流。競技者としての勝者の喜びとは違う、他者として励まし合うことで得られる共鳴の喜びも実感したという。

「私ももちろん楽しかったですが、参加されていた市民ランナーのみなさんが本当に楽しそうに走っている姿もとても印象的でしたね」

 またエイドステーションで振る舞われたカステラやきゅうり、冷凍バナナも堪能。18km地点では演奏の音に背中を押され、最後の踏ん張りにつながった。それはまさに市民スポーツの真の醍醐味ともいえるだろう。

 初ハーフマラソンは2時間35分で走りきった。「いろいろ試して足にフィットしていて、しっくりときた」という『GEL-KAYANO』を相棒に、21.0975kmの道のりを軽やかに走った。ゴールした瞬間、石川さんの口からこぼれたのは「思っていたより10倍以上楽しかった」という、純粋なよろこびだった。

「3年前まで現役のアスリートとしてプレーしていたので、周りの方から見れば今回の挑戦が簡単に見えていたかもしれません。でも引退して時間も経っていて、私にとって今回のチャレンジは簡単なものではありませんでした。ただ、走り始めて、昨日よりも今日、今日よりも明日、自分が成長することを肌で感じられることは楽しかったですし、新しい発見もたくさんありました。アスリート時代とは違う、スポーツの楽しみ方を見つけられたような気がします。だからみなさんにもおすすめしたいですね」

挑戦で見つけた、新しいよろこび

 レース翌日、強烈な筋肉痛が襲ったが、立ち上がるのもしんどいその痛みを、「生きている証なので。でも大丈夫です。ただの筋肉痛なんで」と愛おしそうに笑った。身体を使い切った後の深い眠りと、すっきりとした爽快感、それは求めていた健康の循環そのものだった。

「友だちと待ち合わせて、今日もまた走るかもしれません」

 そう話す石川さんの表情は生き生きとしていた。

 ランニングは、かつてのように強い覚悟を求める行為ではなくなった。今の石川さんにとってそれは、日々の生活にそっと色を添える、心地よい習慣へと変わりつつある。

 このハーフマラソンへの挑戦で示したのは、完走という記録以上のものだ。それは、一人の人間がスポーツとの新しい関係性を築き上げていく姿そのものだった。

 レース前日には岐阜城を訪れ、特産の鰻を堪能したという。

「ハーフマラソンに出場したことで、観光もできましたし、美味しいものも食べられました。もう最高です」

 現役時代には想像もしなかった、スポーツと観光が溶け合う時間。そこにあるのは、かつてのようなストイックな、やらなければならない「Do」ではなく、日常を豊かに彩るライフスタイルとしてのスポーツの姿だ。

「人生の楽しみ方って本当にいろいろだなとあらためて感じました。選手時代は国内外に遠征で訪れても、練習と試合で結果を出すこと、自分を超えること、誰かに勝利することに喜びを見出していたので、そういう経験をすることがなかったんです。スポーツのこと、スポーツの楽しみ方は知っているつもりでいましたけど、楽しむ角度によって、こんなにも新しくなるんだということを学びました」

 いつでも、どこでも、靴さえあればできる。ランニングの自由さは、仕事や家事に追われ、自分の時間を後回しにしがちな世代にとっては最も身近な存在だ。

 ウォーキングでもいい、家事で流した汗も、子どもと公園を走り回った時間も立派な運動だ。

「次は札幌や沖縄で走って、お寿司やスキューバダイビングを楽しみたいですね」

 そう語る石川さんの瞳には、かつてのような負けられない重圧はなく、次の小さな喜びへの期待が溢れている。

『It's My Day』。

 一歩を踏み出し、ココロとカラダが少しだけ上を向いたならその日は自分にとって最高の一日になる。満面の笑みでゴールした石川さんが「今日のよろこび」を見つけ、証明したように、身体を動かすことの本質は自分自身のココロを満たすことにある。

ページトップ