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戦友たちの30年越しの告白に感謝を。
清原和博からの1本の電話。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa
posted2016/12/21 12:20
1985年、夏前にPL球場で撮影された1枚の写真。清原和博を思い出す時、この頃の姿を思い出すという人は決して少なくないはずだ。
甲子園で清原にホームランを打たれた男たちを訪ねて。
高校時代、自らの願いを清原に託し、そのホームランに励まされた編集長の想いから企画が始まった。甲子園の英雄が覚せい剤取締法違反で有罪となる中、清原にホームランを打たれた投手たちを訪ねる。私はこの「清原和博 13本のホームラン物語」を担当することになった。高校野球が最も熱かったあの時代、怪物に挑んだ男たちを探す旅が始まった。
母校、地域の高野連、友人、知人……。様々なルートから11人の男たちの消息を追った。今だからこそ清原を語ってほしい――。彼らへの願いは1つだったが、正直、固く閉ざされた扉をイメージしていた。断られることは覚悟の上だった。だが、私の予想に反し、彼らは迷わず、清原と自分の人生について語ってくれた。
8月に入り、雑誌が発売された。多くの反響が編集部に届き、書籍化(『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』)が決まった。私は再び、彼らに会いに行くことになった。甲子園の後、清原のホームランがいかに自分の人生に影響してきたか。彼らの告白はさらに心の奥深くへと進んでいった。
なぜ30年以上経っても、清原の記憶は消えないのだろう。
私が追ったのは、他人の頭の中にいる清原和博だった。甲子園で戦った元球児たちの記憶だけが頼りだった。清原本人と面と向かって話したことはない。たいてい、そういう人の像を結ぶのは難しい。1度たりとも見たことのない風景をスケッチしろと言われているのと同じで、限りなく頼りない線になる。目を見て、声を聞いて、言葉を理解して、心を覗いて、初めてその人らしきものがようやく描ける。そういうものだと思っていた。
だが、清原は違った。甲子園最多の13本塁打を目撃した11人の男たちが語った言葉はブレることなく、強く、迷いのない線でその人物像を結んでいった。不思議だった。
なぜ、30年以上経っても、清原の記憶は消えないのだろう?
彼らの記憶の中にいる清原は怪物であり、泣き虫だ。傍若無人であり、義理人情に厚い。つまり、強くて、弱い。そこに人を惹きつける「体温」がある。きっと、そのせいなのだろう。鮮明に浮かび上がってくる、あの頃の清原を描きながら、私は思った。
彼らは清原が正しいと言っているのではない。清原の「罪」を許せと言っているのでもない。ただ、あの頃の清原が好きなのだ。自分たちが好きだった頃の記憶を30年間ずっと胸にとどめ、今、そこに戻ってこい、と訴えかけていた。