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ダルビッシュ有 王子はしたたかに勝つ
text by
永谷脩Osamu Nagatani
posted2005/07/21 00:00
6月15日、広島戦。プロ入り前から話題を呼び、注目を集め続けたルーキー、ダルビッシュ有は、鮮烈なデビューを飾った。9回に2点を失ったものの8回まであわや完封かという好投。初登板で勝ち星をあげたのだ。
決して調子はよくなかったが、「中学時代にサイドスローで投げていた時の感覚を思い出して投げた」と、悪いなりのピッチングが出来ることを示した。
デビューまでの歩みは、順調ではなかった。新人合同トレで右膝に違和感を覚え、キャンプは別メニューになった。その最中、喫煙していたことが発覚した。そのため無期限の謹慎処分が下り、開幕しても二軍の鎌ヶ谷で調整せざるを得なくなった。
外出禁止中のダルビッシュの楽しみといえば、練習所付近のペットショップで買ったカメレオンの世話だった。餌の昆虫をやりながら“この世界、弱肉強食だよな”と話していたという。カメレオンに将来の自分を託していたのだろうか。
だがこの謹慎期間は、“実力さえ出せば、何でも通用する世界”と思っていたダルビッシュにとって大切な時間となった。
教育係を務めた菅野光夫寮長は、礼儀を基本から教えこんだ。
「高校時代からわがまま放題で来ていたから最低限の挨拶からさせた。プロの世界では先輩に声をかけられる子の方が伸びるからね」
3カ月後に一軍昇格が決まり、「二度と顔を見たくない」と送り出すと、「いい勉強をさせてもらいました」と素直に答えたという。
一方、投球面をつきっきりで指導した佐藤義則コーチは、彼の良さをこう感じていた。
「下半身を含めて、体は出来ていないけれど、指先が器用だし、手首が柔かい。ウチは投げ込みをさせないっていう方針だし、体が元気なうちはおもしろい存在になるかもしれない」
デビュー戦の勝利は、彼らへの恩返しでもあったのだ。
続く2試合目の先発となった6月27日も勢いは止まらない。ダルビッシュは試合前の練習中、西武ナインの顔を確認しながら、何度もランニングを繰り返した。そのダルビッシュに、関西のボーイズリーグ時代に顔見知りだった中島裕之も、“おかわり君”の異名を持つ中村剛也も無関心なままだった。
“一人前にならないと見向きもされないのかもしれない。今日勝って覚えさせる”。そう誓ったダルビッシュは、誰に言うでもなく、「やるぞー」と声を上げた。その気合いそのままに、甲子園の大先輩、西武・松坂大輔と堂々と投げ合い、2試合連続の勝利を収めたのである。ドラフト制度移行後では高卒ルーキーの2試合連続勝利は、阪急・三浦広之(昭和53年)、中日・近藤真一(昭和62年)、日本ハム・矢野諭(平成9年)に次いで4人目。ダルビッシュが「あのスライダーは半端なすごさじゃないから」と高校時代から舌を巻いていた松坂ですら出来なかった記録だ。
「何か、強い運を持っている男なんだな」
白井一幸ヘッドコーチは、お立ち台のダルビッシュを指差しながら言うと、ヒルマン監督は大きくうなずき、「本当だね」と笑った。
とはいえ、決して運ばかりではない。この日も調子は上向かず、ストレートが走らなかった。急きょ使ったのが、高3の国体以来というフォークである。打者の打ち気を誘いながら、3併殺で打ち取るという頭脳的な投球ぶりに、西武・和田一浩は、「見ていると大した球はないけれど、手元で微妙に変化する」と語る。当のダルビッシュは、「速い球でむきになって三振を取りにいくよりも、低めの変化球でゴロを打たせて、勝ちにつなげていった方が賢明だと思う」と試合後に語った。
3試合目、7月4日のロッテ戦も7回を2失点、完全にローテーション投手となった。
「剛球王子」といわれた高校時代から、己を知りしたたかに勝てる投手へ。その右腕は、端正な顔立ちとともに札幌を、いや、プロ野球界を沸かせ続ける可能性を秘めている。