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<優勝請負人は敏腕代理人> ビスマルク「W杯を諦め、日本に残ったんだ」

2019/03/05
 Jリーグ元年のセカンドステージからV川崎に加わるや、華やかな攻撃陣を操り、2年連続王座獲得に大きく貢献。
 後に鹿島でも計7冠を手に入れた優勝請負人をリオに訪ねた。

 2月のリオは真夏だ。早朝から強い日差しが照りつける。彼との待ち合わせ場所は、ボサノバの名曲「イパネマの娘」が生まれたイパネマ地区の西にあるレブロン地区のカフェ。現役時代と比べると別人のようにふくよかになり、両頬が丸く盛り上がった彼が現れた。だが、その柔和な笑顔には、確かに昔の面影があった。

 ビスマルクはリオ北部で生まれ育った。憧れの選手はジーコ。14歳から地元の名門ヴァスコ・ダ・ガマのU-15に加わり16歳でトップデビュー、夢だったセレソン(ブラジル代表)に18歳で初招集された。1990年のW杯イタリア大会に参加し、当然ながら'94年のアメリカ大会も狙っていた。だが、今まさに大輪の花を咲かせようとしていた23歳の若者は、突如、誕生したばかりの極東のリーグへ参戦する。このニュースは、世界のサッカー関係者を驚かせた。

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photograph by Koji Asakura

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