名花は憂いの色をたたえていた。だからこそ人類の記憶から消えない。美しいだけでなく強くて悲しかった。
女子体操のベラ・チャスラフスカ、死す。52年前の東京五輪とその4年後のメキシコ五輪で計7個もの金メダルを獲得した。優雅な舞踏の継承者であって目の覚める軽業の先駆者でもあった。
1968年6月。東西冷戦下のチェコスロバキアにあって「人間の顔をした社会主義」に希望を託し、反体制知識人の起草した文書『二千語宣言』に署名した。いわゆる「プラハの春」運動に参画したのである。
同年8月20日、ソ連の主導によりワルシャワ条約機構軍が自由を求めるチェコスロバキアに侵攻する。人間の顔は戦車のキャタピラで速やかに潰しておかなくてはならない。弾圧と統制は始まった。
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