酷暑のコンディションの中行われた女子マラソンで一度は入賞圏外まで弾き出されたが、持ち前の粘りで最後は7位まで順位を上げた小林香菜 / photograph by Kiichi Matsumoto 8km過ぎに飛び出しレースを動かしたアメリカ勢。サリバンは最後まで粘り切り、4位入賞 ©Nanae Suzuki 25キロあたりでは一度アフリカ勢に交わされたものの、ギアを入れ替えひとりずつ抜いていった ©Nanae Suzuki 単独走になる場面も多かったが、沿道のファンの声援も小林を後押しした ©Kiichi Matsumoto レース最終盤で「もともと苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 初出場の世界陸上女子マラソンで7位に入賞した小林香菜。レース直後は先頭を引っ張る積極性も見せたが、その戦略の中身は…? ©Nanae Suzuki 初の世界大会で日本勢最高位となる7位入賞を果たした小林 ©Nanae Suzuki 序盤、先頭に出てレースを引っ張る小林 ©JIJI PRESS 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto レース最終盤で「もともと苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 酷暑のコンディションの中行われた女子マラソンで一度は入賞圏外まで弾き出されたが、持ち前の粘りで最後は7位まで順位を上げた小林香菜 ©Kiichi Matsumoto 8km過ぎに飛び出しレースを動かしたアメリカ勢。サリバンは最後まで粘り切り、4位入賞 ©Nanae Suzuki 25キロあたりでは一度アフリカ勢に交わされたものの、ギアを入れ替えひとりずつ抜いていった ©Nanae Suzuki 単独走になる場面も多かったが、沿道のファンの声援も小林を後押しした ©Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜。シンデレラストーリーはどこまで続くのか ©Nanae Suzuki マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki 1月の大阪国際女子マラソン後には「まだ実感が湧かない」と話していた小林。そこからとんとん拍子の大躍進となった ©︎NumberWeb 大塚製薬陸上競技部の河野監督は陸連の要職を務めた経験も(※写真は北京五輪) ©︎BUNGEISHUNJU ゴールに飛び込む小林 ©︎Nanae Suzuki ゴール後はアメリカのサリバンに引き起こされ、肩を組む場面も ©︎Nanae Suzuki ゴールした安藤友香に上着をかける小林 ©Nanae Suzuki マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki まさかの銅メダルとなったウルグアイのフリア・パテルナイン。自己記録は2時間27分台の選手だった ©Nanae Suzuki 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto 金メダルを獲得したケニアのぺレス・ジェプチルチル ©Nanae Suzuki ゴールの瞬間 ©Nanae Suzuki ゴールの瞬間 ©Nanae Suzuki レース後には倒れこむ場面も ©Nanae Suzuki ゴール後はアメリカのサリバンに引き起こされ、肩を組む場面も ©︎Nanae Suzuki 同じくマラソン代表の佐藤早也伽とゴール後に談笑する場面もあった ©︎Nanae Suzuki 同じくマラソン代表の佐藤早也伽とゴール後に談笑する場面もあった ©︎Nanae Suzuki 早大本庄高の陸上部時代の小林(中央)。ケガの影響もあり、不完全燃焼に終わったという/本人提供 大学時代はサークル活動での皇居ランなどがベースだったという小林 ©︎NumberWeb 大学3年時には秋田100kmチャレンジマラソンにも挑戦/本人提供 11月のクイーンズ駅伝ではルーキーながら最長区間の3区を任された/大塚製薬陸上競技部提供 「まだメンタルが市民ランナー」という小林だが、今年の東京世界陸上の代表可能性も残している ©︎NumberWeb

25キロあたりでは一度アフリカ勢に交わされたものの、ギアを入れ替えひとりずつ抜いていった ©Nanae Suzuki

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酷暑のコンディションの中行われた女子マラソンで一度は入賞圏外まで弾き出されたが、持ち前の粘りで最後は7位まで順位を上げた小林香菜 / photograph by Kiichi Matsumoto 8km過ぎに飛び出しレースを動かしたアメリカ勢。サリバンは最後まで粘り切り、4位入賞 ©Nanae Suzuki 25キロあたりでは一度アフリカ勢に交わされたものの、ギアを入れ替えひとりずつ抜いていった ©Nanae Suzuki 単独走になる場面も多かったが、沿道のファンの声援も小林を後押しした ©Kiichi Matsumoto レース最終盤で「もともと苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 初出場の世界陸上女子マラソンで7位に入賞した小林香菜。レース直後は先頭を引っ張る積極性も見せたが、その戦略の中身は…? ©Nanae Suzuki 初の世界大会で日本勢最高位となる7位入賞を果たした小林 ©Nanae Suzuki 序盤、先頭に出てレースを引っ張る小林 ©JIJI PRESS 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto レース最終盤で「もともと苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 酷暑のコンディションの中行われた女子マラソンで一度は入賞圏外まで弾き出されたが、持ち前の粘りで最後は7位まで順位を上げた小林香菜 ©Kiichi Matsumoto 8km過ぎに飛び出しレースを動かしたアメリカ勢。サリバンは最後まで粘り切り、4位入賞 ©Nanae Suzuki 25キロあたりでは一度アフリカ勢に交わされたものの、ギアを入れ替えひとりずつ抜いていった ©Nanae Suzuki 単独走になる場面も多かったが、沿道のファンの声援も小林を後押しした ©Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜。シンデレラストーリーはどこまで続くのか ©Nanae Suzuki マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki 1月の大阪国際女子マラソン後には「まだ実感が湧かない」と話していた小林。そこからとんとん拍子の大躍進となった ©︎NumberWeb 大塚製薬陸上競技部の河野監督は陸連の要職を務めた経験も(※写真は北京五輪) ©︎BUNGEISHUNJU ゴールに飛び込む小林 ©︎Nanae Suzuki ゴール後はアメリカのサリバンに引き起こされ、肩を組む場面も ©︎Nanae Suzuki ゴールした安藤友香に上着をかける小林 ©Nanae Suzuki マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki まさかの銅メダルとなったウルグアイのフリア・パテルナイン。自己記録は2時間27分台の選手だった ©Nanae Suzuki 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto 最終盤で「苦手意識があった」という上り坂を走る小林 ©︎Kiichi Matsumoto マラソンサークル所属だった大学卒業からわずか2年で世界の7位にまで駆け上がった小林香菜 ©Nanae Suzuki 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto 酷暑のレースで暑熱対策のために氷を握って走る場面も ©Kiichi Matsumoto 金メダルを獲得したケニアのぺレス・ジェプチルチル ©Nanae Suzuki ゴールの瞬間 ©Nanae Suzuki ゴールの瞬間 ©Nanae Suzuki レース後には倒れこむ場面も ©Nanae Suzuki ゴール後はアメリカのサリバンに引き起こされ、肩を組む場面も ©︎Nanae Suzuki 同じくマラソン代表の佐藤早也伽とゴール後に談笑する場面もあった ©︎Nanae Suzuki 同じくマラソン代表の佐藤早也伽とゴール後に談笑する場面もあった ©︎Nanae Suzuki 早大本庄高の陸上部時代の小林(中央)。ケガの影響もあり、不完全燃焼に終わったという/本人提供 大学時代はサークル活動での皇居ランなどがベースだったという小林 ©︎NumberWeb 大学3年時には秋田100kmチャレンジマラソンにも挑戦/本人提供 11月のクイーンズ駅伝ではルーキーながら最長区間の3区を任された/大塚製薬陸上競技部提供 「まだメンタルが市民ランナー」という小林だが、今年の東京世界陸上の代表可能性も残している ©︎NumberWeb

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