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「最後はコジと戦って終わりたかった」天山広吉、新日本一筋35年を語る…動かぬ脚で小島聡とラストマッチに蝶野正洋も万感「立派に最後まで戦った!」
posted2026/08/29 17:00
8月15日、小島聡との現役ラストマッチを戦い抜いた天山広吉。その波乱万丈の35年間を語ったインタビューの短縮版をお届けします
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Asami Enomoto
「最後はコジと戦って終わりたかった。介錯してくれるのはコジしかいないですよ」
天山広吉がそう言い切ったとき、35年という歳月の重さが一言に凝縮されていた。
8月15日、両国国技館。昨年5月に国の難病指定となっている黄色靱帯骨化症と腰椎の手術を受け、思うように体は動かない。それでも引退試合のリングに立った天山は、盟友・小島聡のラリアットを3発受けて力尽きた。試合時間は9分22秒。コンディションへの配慮から設けられた「5分1本勝負」を自らリング上で無制限に切り替え、小島と心ゆくまでぶつかり合った末の結末だった。
ありのままの今の天山を見せればいい
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引退を決意した天山が真っ先に電話を入れたのは、一番の師である蝶野正洋だった。その後イベントで一緒になる機会があり、終わってから蝶野の車で自宅まで送ってもらった。体が満足に動かないなかでの引退試合への不安を打ち明けると、蝶野はこう言葉をかけた。
「動けなくたって、自分をさらけ出してありのままの今の天山を見せればいいんじゃないのか」
その言葉に、天山は蝶野の前で初めて号泣したという。「昔話に花を咲かせて、『天山はここまでよく頑張ったよ』と言ってもらえて、なんかもう嬉しくなっちゃって」と天山は振り返る。狼群団、nWoで名コンビとして鳴らした“蝶天”で、ヒールとしての在り方から試合構成まで教わってきた。「俺にとってはやっぱり一番の師匠」という言葉には、30年以上にわたる絆が滲んだ。
引退セレモニーでマイクを握った蝶野は、ふらつく天山に寄り添いながらこう語りかけた。「立派に歩いて立派にリングに立って、最後まで戦ったよ」
入門2日目に一度だけ逃げた男が、二度と逃げなかった35年。“テンコジ”解体の涙も、脱水症状や、幽体離脱体験も、難病との闘いも——その全貌は本編インタビューに詳しく語られている。
〈つづく〉
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
