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「埼スタでは大一番でほとんど負けた記憶がない」浦和レッズ時代の阿部勇樹が力を得た、頼もしき”真紅の熱狂”

posted2026/05/29 11:00

 
「埼スタでは大一番でほとんど負けた記憶がない」浦和レッズ時代の阿部勇樹が力を得た、頼もしき”真紅の熱狂”<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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Takashi Shimizu

 ボランチはもちろん、センターバックにサイドバック、さらにはアンカーまで。ジェフ千葉と浦和レッズ、そして日本代表としても世界の桧舞台を数多く経験した阿部勇樹さんは、2000年代の日本サッカー界を支えた唯一無二のユーティリティ。守備的な役割はもちろん、フリーキックやPKの名手として高い得点力を誇った。

 21年に現役を引退して、現在レッズのユースチームの監督として後進の育成に力を注ぐ彼は、日本一と呼ばれるレッズサポーターの熱い歓声をいまも鮮明に記憶している。

 阿部さんがレッズのユニフォームにそでを通したのは07年。ジュニアユース時代から長くプレーしてきた、ジェフ千葉からの移籍だった。

「ジェフ時代、埼玉スタジアムでレッズと戦うときは、いつも特別な思いがありました。あの大歓声をなんとかして黙らせてやりたい、そう思って戦っていたんです。埼スタの迫力ある声援は敵としてはプレッシャーを感じますが、モチベーションにもなっていました」

 移籍によって、今度は赤い大観衆を味方に戦うことになった。ただし、最初からサポーターに歓迎されていたわけではなかったという。

「試合前の選手紹介でもプレーへの反応でも、ぼくへの声援は他の選手よりもちょっと小さかった。そのことで、自分はまだ認められていないんだなと思わされました。ここではチームのために戦う姿を見せなきゃいけない、ゴールを決めるといった目に見える形で勝利に貢献しないといけない。そういう気持ちにさせられたんです」

 阿部さんは移籍直後からスタメンに名を連ね、守備陣に欠かせない存在となっていた。だが彼は黒子に甘んじることなく、貪欲にゴールを決めようとし、シーズン開幕7戦目となる大分トリニータとのアウェーゲームで2ゴールを叩き出す。

「大分戦後のホームゲームでは、それまでにはないくらいの大きな声でコールしてもらえました。あのゴールで、ようやくレッズの一員として認めてもらえたんです」

 レッズのサポーターたちは、ただ全力で叫んでいるわけではなかった。少しだけボリュームをしぼることによって、選手のポテンシャルを最大限に引き出したのだ。

 14年にも及ぶレッズでのキャリアで、阿部さんはACL(アジア・チャンピオンズリーグ)の優勝を2度経験。とりわけ2017年、決勝でアルヒラル(サウジアラビア)を退けた、2度目の優勝が印象深いという。

「第1戦のアウェーもすごい雰囲気だったんですが、埼スタでの2戦目はすさまじい雰囲気で、相手はかなりいやだったんじゃないかと思います。レッズサポーターの声はそれくらい頼もしくて、ACLでは2度の決勝がそうだったように、埼スタでは大一番でほとんど負けた記憶がないですね」

勝てない時期も「声」で結ばれていた

 レッズ時代、阿部さんはACLをはじめとして数多くのタイトルを獲得したが、勝てない時期もサポーターとは血の通った声で結ばれていた。

 2015年、レッズはリーグ開幕から2連敗。続くACLのブリスベン・ロアー(オーストラリア)戦にも敗れてホーム3連敗を喫すると、選手たちにはフラストレーションをつのらせたサポーターから次々と厳しい声が投げつけられた。

 くやしさを嚙みしめながら引き揚げていく選手たちの中で、ひとりだけサポーターに向き合い、声を絞り出した選手がいた。阿部さんだった。

「まず勝たなきゃダメなんだよ! 俺たちがやるから、だから一緒に闘ってよ!」

 それまでゴール裏のスタンドを包んでいた怒りの声は静まり返り、そして地響きのような阿部勇樹コールが湧き上がった。その声は、コールリーダーの太鼓に合わせて始まったわけではない。サポーターたちが自然に歌い始めた声だった。

「ああ、ありましたね。憶えています。あのときはほとんど怒鳴るようにして叫んでいました。スタッフには行くなと止められていたんですけど、べつにケンカをしに行くわけじゃないんで」

 阿部さんは言葉少なに振り返るが、サポーターたちはこのチームには自分たちの気持ちを受け止めてくれる選手がいるということに胸を打たれたのだ。

「ぼくがいつも思っていたのは、チームがしっかりと勝つことによって、サポーターのみんなに笑顔になって喜んで帰っていただきたいということ。レッズのサポーターは、勝つとみんながいい表情になってくれて、それを見るのが好きだったんです」

浦和ユース監督としての日常

 そう語る阿部さんが、試合のたびにいつも身につけていたものがある。『龍角散ののどすっきり飴』だ。

「埼スタの声援はほんとに大きいので、他のスタジアムと同じような声では味方に届かない。ですから大声で叫ぶことも多くて、のどに負担がかかる。それでいつも青いパッケージの龍角散ののど飴を携帯していました。試合のときだけでなく、移動でも。飛行機や新幹線は空気が乾燥していることがありますから」

 引退してユースチームの指導者に転身したいまも、バッグの片隅にのど飴をしのばせている。

「大声を出すのは、どちらかというと練習でのことが多いですね。埼スタの大観衆の中で試合をするわけじゃないですから。それでも試合中、とくに押し込まれる時間帯では選手にかける声は大きくなりますね。選手たちを少しでも勇気づけられるような声かけができれば、と思っているので」

 そんなのどのケアに気をつけている阿部さんが興味を持ったのが『龍角散ダイレクトスティック』。微粉末生薬成分がのどの粘膜にダイレクトに作用し、せきやたん、のどの炎症による声がれや不快感をやわらげる効果がある第3類医薬品だ。

「水なしで、サッと飲めるのがいいですね。今度ためしてみます」

「選手も指導者ものどはつねに整えておかないといけないですが、それはサポーターも同じ。レッズのサポーターは文字通り一緒に戦ってくれるのでものすごく頼もしいですけど、試合後に街なかでユニフォームを着た人たちがかすれた声で話しているのを見かけたりすると、あれで週明け、仕事になるのかなあ? なんて心配になるんですよ。みなさんもしっかりケアしてほしいですね」

 サポーターの声あっての浦和レッズ。そのことを熟知するレジェンドらしいメッセージだった。

阿部 勇樹Yuki Abe

1981年9月6日生、千葉県出身。東京学館浦安高校を経て、1997年にジェフユナイテッド千葉ユースに入団し、98年にJリーグ初出場。00年にトップチームに昇格すると、イビチャ・オシム監督との出会いによりキャプテンとして頭角を現す。07年、浦和レッズに移籍し主力として活躍。10年からイングランドのレスター・シティでプレーし、12年に浦和に復帰。21年の現役引退までJ1出場通算590試合、75得点と活躍した。日本代表では通算53試合し、3得点。現在は浦和レッズのユースチーム監督を務める。

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