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高橋尚子、松坂、中田英、井上康生、イアン・ソープ……シドニー五輪伝説!

高橋尚子 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 今大会最大のスターとなったのは高橋尚子だ。女子マラソンでリディア・シモンと一騎打ちとなる中で、34kmすぎ付近にサングラスを投げ飛ばすやいなや、スパートを敢行。そのまま押し切り、2時間23分14秒の五輪最高記録で金メダルを獲得した。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 1990年代後半から2000年代前半にかけての水泳界の英雄はイアン・ソープだった。17歳で迎えた母国開催の同大会、男子400m自由形を世界新で優勝。リレーなどを含めて合計3つの金メダル、2つの銀メダルを獲得する大活躍だった。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA バルセロナ、アトランタで金メダルを獲得していたマイケル・ジョンソンは33歳で迎えた今大会、得意の400mで金メダルを獲得。同種目では五輪史上初の連覇を達成した。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA マリオン・ジョーンズは当時“強いアメリカ陸上”の象徴だった。今大会では3つの金メダルを始め計5つのメダルを獲得。しかし2008年にドーピング使用を認め、メダルは全はく奪となった。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 野球の3位決定戦でハイタッチする松坂大輔と杉浦正則。プロ参加が解禁となった中で松坂、中村紀洋や黒木知宏、アマにも杉内俊哉や阿部慎之助、赤星憲広らその後の名選手がメンバーにいたが4位に終わる。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 中村俊輔や稲本潤一、中田英寿らを擁し、トルシエ監督の下で臨んだ男子サッカー。メキシコ五輪以来のメダル獲得を期待されたものの、準々決勝アメリカ戦でPK戦の末敗退。最後のPKをポストに当てたのは中田英だった。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA 現在ではバラエティー番組で人気の篠原信一は、男子100kg超級決勝でドゥイエに内股すかしを決めた……かに見えたが、なぜかドゥイエにポイントが入った。最後までこの判定に泣き、銀メダルに終わった / photograph by Koji Asakura/JMPA 田村は1992年バルセロナ、1996年アトランタと大本命視されながら2大会連続銀メダルに終わっていた。シドニーでは「最高でも金、最低でも金」との覚悟で臨み、48kg級決勝を制して悲願の金獲得を果たした。 / photograph by Koji Asakura/JMPA 女子ソフトボールで日本のエースとして君臨したのは“女大魔神”の異名を取った高山樹里。決勝のアメリカ戦では涙をのんだものの5勝を挙げる活躍。なおその後はボブスレーへの競技転向のち、車いすソフトボールの普及に励んでいるという。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 新体操個人総合で当時17歳のアリーナ・カバエワ。金メダル最有力候補として注目されていたが、この大会ではミスもあって銅メダルに終わった(4年後のアテネ五輪で金メダル獲得)。なお女子フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワの名前はカバエワが由来とも言われている。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 男子柔道100kg級で金メダルを獲得した井上康生。母の死を乗り越えての勝利だった。 / photograph by AFLO 陸上男子100mで金メダリストとなったモーリス・グリーン。競技前に集中力を高める。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 陸上女子400m金メダルを獲得したキャシー・フリーマン。オーストラリアの先住民族アボリジニで、全身を覆うユニフォームも話題になった。 / photograph by AFLO 金メダル獲得に飛び切りの笑顔を見せるフリーマン / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 男子サッカー、カメルーンの金メダル獲得に貢献したエムボマ。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA 銀メダルを獲得したシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)日本女子。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 女子400m個人メドレーで銀メダルを獲得した田島寧子。「めっちゃ悔しい! 金がいいですー!」という名言も生んだ。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 野球で日本の主砲を任された中村紀洋。外国勢のピッチングに苦しめられた。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA サッカー男子の名バイプレーヤーだった明神智和(左)と宮本恒靖。2年後の日韓W杯でも彼らがチームを支えた。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA

男子サッカー、カメルーンの金メダル獲得に貢献したエムボマ。(photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA)

高橋尚子 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 今大会最大のスターとなったのは高橋尚子だ。女子マラソンでリディア・シモンと一騎打ちとなる中で、34kmすぎ付近にサングラスを投げ飛ばすやいなや、スパートを敢行。そのまま押し切り、2時間23分14秒の五輪最高記録で金メダルを獲得した。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 1990年代後半から2000年代前半にかけての水泳界の英雄はイアン・ソープだった。17歳で迎えた母国開催の同大会、男子400m自由形を世界新で優勝。リレーなどを含めて合計3つの金メダル、2つの銀メダルを獲得する大活躍だった。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA バルセロナ、アトランタで金メダルを獲得していたマイケル・ジョンソンは33歳で迎えた今大会、得意の400mで金メダルを獲得。同種目では五輪史上初の連覇を達成した。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA マリオン・ジョーンズは当時“強いアメリカ陸上”の象徴だった。今大会では3つの金メダルを始め計5つのメダルを獲得。しかし2008年にドーピング使用を認め、メダルは全はく奪となった。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 野球の3位決定戦でハイタッチする松坂大輔と杉浦正則。プロ参加が解禁となった中で松坂、中村紀洋や黒木知宏、アマにも杉内俊哉や阿部慎之助、赤星憲広らその後の名選手がメンバーにいたが4位に終わる。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 中村俊輔や稲本潤一、中田英寿らを擁し、トルシエ監督の下で臨んだ男子サッカー。メキシコ五輪以来のメダル獲得を期待されたものの、準々決勝アメリカ戦でPK戦の末敗退。最後のPKをポストに当てたのは中田英だった。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA 現在ではバラエティー番組で人気の篠原信一は、男子100kg超級決勝でドゥイエに内股すかしを決めた……かに見えたが、なぜかドゥイエにポイントが入った。最後までこの判定に泣き、銀メダルに終わった / photograph by Koji Asakura/JMPA 田村は1992年バルセロナ、1996年アトランタと大本命視されながら2大会連続銀メダルに終わっていた。シドニーでは「最高でも金、最低でも金」との覚悟で臨み、48kg級決勝を制して悲願の金獲得を果たした。 / photograph by Koji Asakura/JMPA 女子ソフトボールで日本のエースとして君臨したのは“女大魔神”の異名を取った高山樹里。決勝のアメリカ戦では涙をのんだものの5勝を挙げる活躍。なおその後はボブスレーへの競技転向のち、車いすソフトボールの普及に励んでいるという。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 新体操個人総合で当時17歳のアリーナ・カバエワ。金メダル最有力候補として注目されていたが、この大会ではミスもあって銅メダルに終わった(4年後のアテネ五輪で金メダル獲得)。なお女子フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワの名前はカバエワが由来とも言われている。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 男子柔道100kg級で金メダルを獲得した井上康生。母の死を乗り越えての勝利だった。 / photograph by AFLO 陸上男子100mで金メダリストとなったモーリス・グリーン。競技前に集中力を高める。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 陸上女子400m金メダルを獲得したキャシー・フリーマン。オーストラリアの先住民族アボリジニで、全身を覆うユニフォームも話題になった。 / photograph by AFLO 金メダル獲得に飛び切りの笑顔を見せるフリーマン / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 男子サッカー、カメルーンの金メダル獲得に貢献したエムボマ。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA 銀メダルを獲得したシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)日本女子。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 女子400m個人メドレーで銀メダルを獲得した田島寧子。「めっちゃ悔しい! 金がいいですー!」という名言も生んだ。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA 野球で日本の主砲を任された中村紀洋。外国勢のピッチングに苦しめられた。 / photograph by Naoya Sanuki/JMPA サッカー男子の名バイプレーヤーだった明神智和(左)と宮本恒靖。2年後の日韓W杯でも彼らがチームを支えた。 / photograph by Kazuaki Nishiyama/JMPA

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