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[覚悟の4年間を終えて]吉田麻也「主将になった少年」

2022/12/16
W杯ベスト8を目指す道中で、キャプテンは何を背負っていたのか。この4年間、時には批判を浴び、時には悲壮感すら漂わせながら、それでもチームのために、日本サッカーのために全力を尽くしてきた。物語は、彼が1人のサッカー少年に過ぎなかった、あの頃から始まっていた。

 クロアチアとの死闘を終えた翌日、ミックスゾーンの端っこで、両眼を真っ赤に腫らした吉田麻也と少しだけ雑談した。

「初めて会ったのって、こーんなに小っちゃい頃だったもんね。昔から、生意気だったよね(笑)」

 のちの日本代表キャプテンと初めて会ったのは、彼が小学4年生のときだから、もう25年も前のことになる――。

 本人も認めるとおり、当時はやんちゃな“ガキ大将”だった。年上の人にも全く物怖じしなかった。両親が習っていた社交ダンス教室に飛び入りで参加したかと思えば、7歳上の兄・穂波と同じ洋服を着て、長崎市内の繁華街へ買い物に繰り出した。

 ガキ大将の自宅には、いつも友人たちがたくさん集まり、ギターをかき鳴らしていた。小学校の卒業式当日、「謝恩会で、ゆずの曲を披露するんだ」と意気込んで、“バンドメンバー”たちと勢いよく登校して行った後姿を、今でもよく覚えている。

 サッカーは、もちろん上手だった。他の少年たちより、文字どおり頭ひとつ抜けた長身を生かして、ドリブルでぐいぐい相手を抜き去っていく。当時からフィジカルの強さは際立っていた。

「丈夫な体に生んでくれた両親には、感謝しかないです」

 本人はいつもこう話す。それもそのはず。5歳の頃、路上に飛び出してタクシーにひかれたことがある。5メートルほど吹っ飛ばされる現場を目撃した誰もが、命に関わる大ケガを覚悟した。ところが、麻也少年はひょっこり立ち上がり、何事もなかったかのように歩道へ戻ってきた。タクシーとの激突にも負けない強靭な体が、日本代表通算126試合出場のベースになっているのは間違いない。

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photograph by Kiichi Matsumoto/JMPA

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