愛着ある横浜から“放出”されると受け止めて放心していた多村の心を動かしたのは、王貞治監督の「あるひと言」だった / photograph by JIJI PRESS 2006年WBCで王監督のもと大活躍したことも、ホークス獲得の要因となっただろう ©Naoya Sanuki 松中(左)、小久保(右)ら年上の強打者の猛練習が多村に刺激を与えた ©Naoya Sanuki 多村仁志 ©Keiji Ishikawa 移籍初年度の2007年は132試合に出場した ©Koji Asakura 2010年の優勝パレード、多村の隣には王会長が…… ©Sankei Shimbun 2004年、「3割40本100打点」というスラッガー理想の成績を残した多村。まさかその2年後にトレードを告げられるとは ©JIJI PRESS 多村仁志 ©Keiji Ishikawa NPBでの8年間で通算.325を残した球団史上最高の外国人、ローズ ©Koji Asakura .305、40本塁打、100打点という驚異的な成績を残した2004年の多村 ©JIJI PRESS 2006年WBCでの多村 ©Naoya Sanuki 2006年の第1回WBC決勝のキューバ戦で。王監督(右)に声をかけられる多村(左) ©Naoya Sanuki 2006年WBCでイチローと ©Naoya Sanuki 2012年オフ、DeNA体制となったベイスターズに復帰した多村(左端)。高田繁GM、吉川輝昭、神内靖と ©JIJI PRESS 若手選手のみならず、参入2年目のフロントにまで知見をアドバイスしたという ©Keiji Ishikawa 2013年5月10日、サヨナラ3ランを放った多村と抱き合って大喜びの中畑清監督 ©JIJI PRESS 多村仁志 1977年、神奈川県生まれ。1997年横浜入団、2007年ソフトバンクに移籍。2013年にDeNAに復帰する。2016年中日で育成選手としてプレーし、同年現役引退 ©Keiji Ishikawa 2006年WBCでの多村 ©Naoya Sanuki 2006年WBC決勝キューバ戦で生還する多村 ©Naoya Sanuki 2007年CSロッテ戦での多村 ©Naoya Sanuki 言わずと知れた現監督・三浦大輔 ©Kazuaki Nishiyama ドラフト外入団で投手から野手に転向して2000本安打、球団史に残る名選手のひとり・石井琢朗 ©Hideki Sugiyama 1998年の日本一をもたらした権藤博監督 ©Koji Asakura 日米通算381セーブ。史上最強のクローザー「大魔神」佐々木主浩 ©Hideki Sugiyama 佐々木の弟分的存在から、MLBでクローザーをつかみ、45歳までプレーした名投手・斎藤隆 ©Kazuaki Nishiyama 8年間の在籍で通算.325を残した球団史上最高の名外国人、ロバート・ローズ ©Hideki Sugiyama ハマの司令塔として13年、移籍した中日でも14年もの間プレーした稀代の大捕手、谷繁元信 ©Kazuaki Nishiyama 首位打者を2回獲得してマシンガン打線を引っ張った「ハマの安打製造機」鈴木尚典 ©Koji Asakura ゴールデングラブ3度の鉄壁の守備力と勝負強い打撃で98年Vに貢献した進藤達哉 ©Hideki Sugiyama 1994年に35本塁打を放つなどローズと強力クリーンアップを形成したグレン・ブラッグス ©Koji Asakura 勝負強い打撃でマシンガン打線に欠かせない存在だった「メカゴジラ」佐伯貴弘 ©Hideki Sugiyama アグレッシブなプレーで攻守にチームを引っ張った、いわば先代「ガッツマン」波留敏夫 ©Hideki Sugiyama 1999年には17勝を挙げるなど先発・中継ぎで活躍した川村丈夫 ©Koji Asakura 南海で投手として規定投球回を投げ、のちに打者転向。戦力外から入団した横浜でブレイクして規定打席に到達。NPBで両規定に達した唯一の選手、畠山準 ©Hideki Sugiyama 中継ぎのエース格として98年Vにも大きく貢献した島田直也 ©Takao Yamada 現在のところ史上唯一、ジャイアンツ生え抜きからFA移籍した「満塁男」駒田徳広 ©Kazuaki Nishiyama かつての近鉄のエースから、巨人を経て横浜で中継ぎとして復活した阿波野秀幸 ©Koji Asakura 2007年、44歳でFA人的補償として巨人から横浜に移籍し、おじさんの星となった工藤公康 ©Hideki Sugiyama 2003年、ルーキー時代ののちの「男・村田」こと村田修一 ©Hideki Sugiyama 村田修一の移籍で背番号「25」を継承した2012年の筒香嘉智 ©Hideki Sugiyama 2012年に横浜移籍。のちに監督も務めることになるアレックス・ラミレス ©Naoya Sanuki 2012年、DeNAの初代監督となった中畑清 ©Hideki Sugiyama 西武から移籍してきてパンチ力ある打撃で代打の切り札となった人気者「ゴメス」こと後藤武敏 ©Nanae Suzuki

松中(左)、小久保(右)ら年上の強打者の猛練習が多村に刺激を与えた ©Naoya Sanuki

この記事を読む

愛着ある横浜から“放出”されると受け止めて放心していた多村の心を動かしたのは、王貞治監督の「あるひと言」だった / photograph by JIJI PRESS 2006年WBCで王監督のもと大活躍したことも、ホークス獲得の要因となっただろう ©Naoya Sanuki 松中(左)、小久保(右)ら年上の強打者の猛練習が多村に刺激を与えた ©Naoya Sanuki 多村仁志 ©Keiji Ishikawa 移籍初年度の2007年は132試合に出場した ©Koji Asakura 2010年の優勝パレード、多村の隣には王会長が…… ©Sankei Shimbun 2004年、「3割40本100打点」というスラッガー理想の成績を残した多村。まさかその2年後にトレードを告げられるとは ©JIJI PRESS 多村仁志 ©Keiji Ishikawa NPBでの8年間で通算.325を残した球団史上最高の外国人、ローズ ©Koji Asakura .305、40本塁打、100打点という驚異的な成績を残した2004年の多村 ©JIJI PRESS 2006年WBCでの多村 ©Naoya Sanuki 2006年の第1回WBC決勝のキューバ戦で。王監督(右)に声をかけられる多村(左) ©Naoya Sanuki 2006年WBCでイチローと ©Naoya Sanuki 2012年オフ、DeNA体制となったベイスターズに復帰した多村(左端)。高田繁GM、吉川輝昭、神内靖と ©JIJI PRESS 若手選手のみならず、参入2年目のフロントにまで知見をアドバイスしたという ©Keiji Ishikawa 2013年5月10日、サヨナラ3ランを放った多村と抱き合って大喜びの中畑清監督 ©JIJI PRESS 多村仁志 1977年、神奈川県生まれ。1997年横浜入団、2007年ソフトバンクに移籍。2013年にDeNAに復帰する。2016年中日で育成選手としてプレーし、同年現役引退 ©Keiji Ishikawa 2006年WBCでの多村 ©Naoya Sanuki 2006年WBC決勝キューバ戦で生還する多村 ©Naoya Sanuki 2007年CSロッテ戦での多村 ©Naoya Sanuki 言わずと知れた現監督・三浦大輔 ©Kazuaki Nishiyama ドラフト外入団で投手から野手に転向して2000本安打、球団史に残る名選手のひとり・石井琢朗 ©Hideki Sugiyama 1998年の日本一をもたらした権藤博監督 ©Koji Asakura 日米通算381セーブ。史上最強のクローザー「大魔神」佐々木主浩 ©Hideki Sugiyama 佐々木の弟分的存在から、MLBでクローザーをつかみ、45歳までプレーした名投手・斎藤隆 ©Kazuaki Nishiyama 8年間の在籍で通算.325を残した球団史上最高の名外国人、ロバート・ローズ ©Hideki Sugiyama ハマの司令塔として13年、移籍した中日でも14年もの間プレーした稀代の大捕手、谷繁元信 ©Kazuaki Nishiyama 首位打者を2回獲得してマシンガン打線を引っ張った「ハマの安打製造機」鈴木尚典 ©Koji Asakura ゴールデングラブ3度の鉄壁の守備力と勝負強い打撃で98年Vに貢献した進藤達哉 ©Hideki Sugiyama 1994年に35本塁打を放つなどローズと強力クリーンアップを形成したグレン・ブラッグス ©Koji Asakura 勝負強い打撃でマシンガン打線に欠かせない存在だった「メカゴジラ」佐伯貴弘 ©Hideki Sugiyama アグレッシブなプレーで攻守にチームを引っ張った、いわば先代「ガッツマン」波留敏夫 ©Hideki Sugiyama 1999年には17勝を挙げるなど先発・中継ぎで活躍した川村丈夫 ©Koji Asakura 南海で投手として規定投球回を投げ、のちに打者転向。戦力外から入団した横浜でブレイクして規定打席に到達。NPBで両規定に達した唯一の選手、畠山準 ©Hideki Sugiyama 中継ぎのエース格として98年Vにも大きく貢献した島田直也 ©Takao Yamada 現在のところ史上唯一、ジャイアンツ生え抜きからFA移籍した「満塁男」駒田徳広 ©Kazuaki Nishiyama かつての近鉄のエースから、巨人を経て横浜で中継ぎとして復活した阿波野秀幸 ©Koji Asakura 2007年、44歳でFA人的補償として巨人から横浜に移籍し、おじさんの星となった工藤公康 ©Hideki Sugiyama 2003年、ルーキー時代ののちの「男・村田」こと村田修一 ©Hideki Sugiyama 村田修一の移籍で背番号「25」を継承した2012年の筒香嘉智 ©Hideki Sugiyama 2012年に横浜移籍。のちに監督も務めることになるアレックス・ラミレス ©Naoya Sanuki 2012年、DeNAの初代監督となった中畑清 ©Hideki Sugiyama 西武から移籍してきてパンチ力ある打撃で代打の切り札となった人気者「ゴメス」こと後藤武敏 ©Nanae Suzuki

ページトップ