結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 / photograph by Atsushi Hashimoto 結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 M-1決勝では7番手で登場。「新しい日本語」のネタをかけた ©M-1グランプリ事務局 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(4) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(5) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(6) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(7) 1988年5月撮影のダウンタウン。当時浜田雅功が25歳、松本人志が24歳 ©Sankei Shimbun 1992年3月、テレビの撮影でウッチャンナンチャンの2人と。当時浜田雅功が28歳、松本人志も28歳 ©Sankei Shimbun 昨年M-1の審査員に抜擢された山田邦子。写真は「好きなタレント調査」で1位になるなど、人気絶頂の1988年撮影の1枚 ©KYODO 山田邦子。人気絶頂の1988年撮影の1枚 ©KYODO 結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(13) M-1審査員の採点一覧。山田邦子は1組目のカベポスターが一番低い「84点」。2組目の真空ジェシカが最高の「95点」。その後の8組は95点と84点の範囲内だった ©BUNGEISHUJU M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(15) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(16) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(17) 決勝1組目で「大声大会」のネタをかけたカベポスター。山田邦子はこの日一番低い「84点」をつけた ©M-1グランプリ事務局 決勝2番手の真空ジェシカ ©M-1グランプリ事務局 決勝3番手のオズワルド ©M-1グランプリ事務局 決勝4番手のロングコートダディ ©M-1グランプリ事務局 決勝5番手のさや香 ©M-1グランプリ事務局 決勝6番手の男性ブランコ ©M-1グランプリ事務局 決勝7番手のダイヤモンド ©M-1グランプリ事務局 決勝8番手のヨネダ2000 ©M-1グランプリ事務局 決勝9番手のキュウ ©M-1グランプリ事務局 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(27)

1988年5月撮影のダウンタウン。当時浜田雅功が25歳、松本人志が24歳 ©Sankei Shimbun

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結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 / photograph by Atsushi Hashimoto 結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 M-1決勝では7番手で登場。「新しい日本語」のネタをかけた ©M-1グランプリ事務局 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(4) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(5) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(6) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(7) 1988年5月撮影のダウンタウン。当時浜田雅功が25歳、松本人志が24歳 ©Sankei Shimbun 1992年3月、テレビの撮影でウッチャンナンチャンの2人と。当時浜田雅功が28歳、松本人志も28歳 ©Sankei Shimbun 昨年M-1の審査員に抜擢された山田邦子。写真は「好きなタレント調査」で1位になるなど、人気絶頂の1988年撮影の1枚 ©KYODO 山田邦子。人気絶頂の1988年撮影の1枚 ©KYODO 結成5年で初めてのM-1決勝だったダイヤモンド。野澤輸出(ネタ作り担当、写真左)と小野竜輔。吉本興業所属 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(13) M-1審査員の採点一覧。山田邦子は1組目のカベポスターが一番低い「84点」。2組目の真空ジェシカが最高の「95点」。その後の8組は95点と84点の範囲内だった ©BUNGEISHUJU M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(15) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(16) M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(17) 決勝1組目で「大声大会」のネタをかけたカベポスター。山田邦子はこの日一番低い「84点」をつけた ©M-1グランプリ事務局 決勝2番手の真空ジェシカ ©M-1グランプリ事務局 決勝3番手のオズワルド ©M-1グランプリ事務局 決勝4番手のロングコートダディ ©M-1グランプリ事務局 決勝5番手のさや香 ©M-1グランプリ事務局 決勝6番手の男性ブランコ ©M-1グランプリ事務局 決勝7番手のダイヤモンド ©M-1グランプリ事務局 決勝8番手のヨネダ2000 ©M-1グランプリ事務局 決勝9番手のキュウ ©M-1グランプリ事務局 M-1最下位、ダイヤモンドが真相を告白「ウケなさ過ぎて…“怖さ”も感じました」ネタの途中で焦った「ああ、無理だ。もう最下位だな…」(27)

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