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“消えた天才”と呼ばれる甲子園優勝投手は、なぜプロに進まなかった?「ダイエーが2位指名」と報道も…本人を直撃「森尾世代ではなく松井世代でいい」
posted2026/08/25 17:00
1992年夏の甲子園を制した西日本短大附の森尾和貴。5完投4完封、防御率0.20という驚異的な成績を残した
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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KYODO
「森尾世代ではなく松井世代でいい」
あの夏を語るうえで避けられないのが、松井秀喜への5打席連続敬遠という「もうひとつの事件」だ。球史を塗り替えた優勝投手よりも、打たずして伝説を作った男の方が人々の記憶に克明に刻まれている。そのことを率直に尋ねると、森尾和貴はスッキリした顔つきで答えた。
「5打席連続敬遠の大会って言われていいんじゃないですかね。でもその裏で実は……っていうのがいいと僕は思うんですよ。"森尾世代"ではなく、僕からすると"松井世代"でいいじゃないかと。それでいいんです」
甲子園優勝後にプロ野球を志望すれば、進むこともできた。事実「ダイエーが2位指名」といった報道もあった。高い評価を得ながら、森尾はプロへの道を選ばなかった。その理由は意外なものだった。「プロに行って、仕事として"いい状態を継続する"ということに不安が募りました」。結果を出せたのは最後の夏だけだったという自己評価が、最終的な決断に結びついた。
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その後、社会人・新日本製鐵八幡に進んだ森尾を待っていたのは、投手生命を左右する異変だった。野球を始めたときから「狙ったコースに投げられなかったことはない」と自他ともに認めた精密なコントロールに、ごく小さなズレが生じ始める。社会人5年目には肘の手術も経験した。「ボール半個分の出し入れのコントロールができなくなっていた」と森尾は振り返る。
社会人として目標にしていたプロの世界は、次第に遠ざかっていった。2003年、新日本製鐵八幡野球部の廃部とともに29歳で現役を退いた。
34年前の決断を振り返り、52歳の森尾はほんの一瞬だけ18歳に戻ったように呟いた。「実際に入ったら、どうだったんですかね」。その言葉の奥に宿る思いの深さや、国民的スターとなった松井秀喜への本音、現役を退いて以降の生活については、記事本編で詳細に描かれている。
<続く>
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
