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[8年後の驚き]ホフパワーが回顧する超人のルーキー時代

2021/11/20
1980年3月1日、米テキサス州生まれ。'02年シカゴ・カブスからドラフト指名を受けてプロ入り。'11年北海道日本ハムファイターズに移籍し、'13年までの3シーズン在籍した
'13年の日ハム名護キャンプで聞こえてきたとんでもない打球音。それを放った男は数日後、新人とは思えない球を投げていた。

 向上心の強い男という第一印象は8年以上が経っても鮮明に残り続けている。

 現在は地元米国テキサス州で保険代理店の営業マンを務める元日本ハムファイターズのマイカ・ホフパワーは大谷翔平選手がルーキーとして参加した2013年の名護キャンプを懐かしそうに振り返った。

「入団前からショウヘイオオタニのことは知っていました。チームメイトたちとクラブハウスで高校野球の中継を観ていましたから。すごいポテンシャルなのは分かっていましたが、プロの世界でも投打両方で調整するなんて前例のないことなので正直言って疑問でしたね。もちろんキャンプ中も彼には投打2つのメニューがありましたが、連日それらの過酷なメニューを文句も言わず忠実にやり続けていたんです。何年もプロで生活している選手だってキャンプでの練習はハードに感じるはず。練習から一切手を抜かないところに向上心の強さを感じました」

 このときはホフパワーにとって日ハムでの3回目のキャンプだった。2年前、斎藤佑樹入団でのフィーバーがあったとはいえ、'13年キャンプは更に常識外れの混乱だったと述懐する。

「ハンカチ王子が来た'11年はファンとメディアでいっぱいでした。しかもダルビッシュ有が翌年メジャーに移籍するという噂もあってメジャースカウトも含めて人だらけ。でもオオタニが集めた注目はその数倍でしたよ。そう考えるとショウヘイの平常心の保ち方は凄かったです」

 青年とはいえホフパワーはすぐに大谷の実力を感じたという。

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photograph by KYODO

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