大阪・西成にある「TMKボクシングジム」で会長を務める金平桂一郎。今年11月で60歳となる / photograph by NumberWeb 2006月8月20日、亀田大毅の勝利に笑みを浮かべる金平(左)と、セコンドについた亀田興毅 ©︎Toshiya Kondo 金平がいまも大事に胸にしまう父・正紀の写真 試合前の計量でアントニオ猪木(左)のアゴに拳を当てて挑発するモハメド・アリ ©︎JIJI PRESS 1982年3月、記者会見で疑惑を釈明する金平正紀(中央)。金平桂一郎は当時16歳だった ©︎BUNGEISHUNJU 「闇将軍」の文字が躍る当時の新聞記事。金平は父の記録をスクラップして保存している 行きつけの居酒屋で当時を振り返る金平桂一郎 大平正芳首相(左)から防衛記録の祝福を受けたWBA世界ジュニアフライ級王者(現ライトフライ級)・具志堅用高と金平正紀 ©︎Sankei Shimbun ロシア留学時代の金平桂一郎(後列右、本人提供) 金平桂一郎が会長を務める協栄ジムへの移籍会見でポーズをとる亀田興毅と父・史郎さん(2005年6月) ©JIJI PRESS 金平桂一郎の父・金平正紀。協栄ボクシングジムの初代会長 ©︎Sankei Shimbun インタビューに応じてくれた金平桂一郎 鬼塚勝也 ©︎Naoya Sanuki 2002年5月、WBAスーパーバンタム級タイトル戦の調印式に出席した挑戦者・佐藤修(左)と金平会長 ©︎JIJI PRESS 2006年8月2日、WBA世界ライトフライ級王者となった亀田興毅を担ぐ横綱・朝青龍 ©︎JIJI PRESS 2007年10月7日、WBC世界フライ級王者・内藤大助(左)にもたれかかる挑戦者・亀田大毅 ©︎Atsushi Hashimoto 2007年10月17日、JBCに謝罪に訪れた金平ら。憔悴仕切った亀田大毅(左)は一言も発せずに退席した ©︎JIJI PRESS 2007年10月26日、協栄ジムでの記者会見では多くのメディアが駆けつけた ©︎BUNGEI SHUNJU 多くの世界王者を輩出した協栄ボクシングジムを父から引き継いだ金平桂一郎(写真は2007年) ©Shigeki Yamamoto 亀田家との出会いを振り返った金平桂一郎 2007年10月26日、内藤大助との世界戦で亀田大毅が反則行為を繰り返した事案に対して記者会見を開いた同ジム会長の金平桂一郎と兄・興毅。父・史郎氏が自らトレーナーを辞任したと発表した ©︎BUNGEI SHUNJU 2008年8月に亀田ジム設立。亀田興毅は翌09年11月に内藤大助とのWBC世界フライ級タイトルマッチを実現させ、ベルトを奪取した ©︎Miki Fukano 2016年、亀田家の三男・和毅(中央)が再び協栄ジムに所属することが決まり、握手する長兄・興毅と金平会長 ©︎JIJI PRESS 取材後、記者にビールを勧めながらも自身はウーロン茶を注文 2025年5月24日、IBF世界フェザー級タイトル戦で王者アンジェル・レオに挑んだ亀田和毅 ©︎JIJI PRESS 興行師としてボクシングの未来について語った金平桂一郎。今年11月で60歳になる ©NumberWeb 1996年4月15日、WBA世界ライト級タイトルマッチで防衛に成功するオルズベック・ナザロフ(右)©︎Reuters/AFLO 興行師の視点から見ても“特別な存在”であると語った井上尚弥の存在 ©Takuya Sugiyama 父・史郎氏を先頭に「亀田トレイン」で入場する亀田3兄弟(2018年5月5日、長兄・興毅とWBCフライ級元王者ポンサクレック・ウォンジョンカムとのエキシビションマッチにて)©︎JIJI PRESS 勇利アルバチャコフ(右)やオルズベック・ナザロフと写真に収まる金平。現在もロシアや中央アジアと太いパイプをもつ(本人提供) 西成の街に馴染む金平。取材後、拠点をキルギスに移した 

大平正芳首相(左)から防衛記録の祝福を受けたWBA世界ジュニアフライ級王者(現ライトフライ級)・具志堅用高と金平正紀 ©︎Sankei Shimbun

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大阪・西成にある「TMKボクシングジム」で会長を務める金平桂一郎。今年11月で60歳となる / photograph by NumberWeb 2006月8月20日、亀田大毅の勝利に笑みを浮かべる金平(左)と、セコンドについた亀田興毅 ©︎Toshiya Kondo 金平がいまも大事に胸にしまう父・正紀の写真 試合前の計量でアントニオ猪木(左)のアゴに拳を当てて挑発するモハメド・アリ ©︎JIJI PRESS 1982年3月、記者会見で疑惑を釈明する金平正紀(中央)。金平桂一郎は当時16歳だった ©︎BUNGEISHUNJU 「闇将軍」の文字が躍る当時の新聞記事。金平は父の記録をスクラップして保存している 行きつけの居酒屋で当時を振り返る金平桂一郎 大平正芳首相(左)から防衛記録の祝福を受けたWBA世界ジュニアフライ級王者(現ライトフライ級)・具志堅用高と金平正紀 ©︎Sankei Shimbun ロシア留学時代の金平桂一郎(後列右、本人提供) 金平桂一郎が会長を務める協栄ジムへの移籍会見でポーズをとる亀田興毅と父・史郎さん(2005年6月) ©JIJI PRESS 金平桂一郎の父・金平正紀。協栄ボクシングジムの初代会長 ©︎Sankei Shimbun インタビューに応じてくれた金平桂一郎 鬼塚勝也 ©︎Naoya Sanuki 2002年5月、WBAスーパーバンタム級タイトル戦の調印式に出席した挑戦者・佐藤修(左)と金平会長 ©︎JIJI PRESS 2006年8月2日、WBA世界ライトフライ級王者となった亀田興毅を担ぐ横綱・朝青龍 ©︎JIJI PRESS 2007年10月7日、WBC世界フライ級王者・内藤大助(左)にもたれかかる挑戦者・亀田大毅 ©︎Atsushi Hashimoto 2007年10月17日、JBCに謝罪に訪れた金平ら。憔悴仕切った亀田大毅(左)は一言も発せずに退席した ©︎JIJI PRESS 2007年10月26日、協栄ジムでの記者会見では多くのメディアが駆けつけた ©︎BUNGEI SHUNJU 多くの世界王者を輩出した協栄ボクシングジムを父から引き継いだ金平桂一郎(写真は2007年) ©Shigeki Yamamoto 亀田家との出会いを振り返った金平桂一郎 2007年10月26日、内藤大助との世界戦で亀田大毅が反則行為を繰り返した事案に対して記者会見を開いた同ジム会長の金平桂一郎と兄・興毅。父・史郎氏が自らトレーナーを辞任したと発表した ©︎BUNGEI SHUNJU 2008年8月に亀田ジム設立。亀田興毅は翌09年11月に内藤大助とのWBC世界フライ級タイトルマッチを実現させ、ベルトを奪取した ©︎Miki Fukano 2016年、亀田家の三男・和毅(中央)が再び協栄ジムに所属することが決まり、握手する長兄・興毅と金平会長 ©︎JIJI PRESS 取材後、記者にビールを勧めながらも自身はウーロン茶を注文 2025年5月24日、IBF世界フェザー級タイトル戦で王者アンジェル・レオに挑んだ亀田和毅 ©︎JIJI PRESS 興行師としてボクシングの未来について語った金平桂一郎。今年11月で60歳になる ©NumberWeb 1996年4月15日、WBA世界ライト級タイトルマッチで防衛に成功するオルズベック・ナザロフ(右)©︎Reuters/AFLO 興行師の視点から見ても“特別な存在”であると語った井上尚弥の存在 ©Takuya Sugiyama 父・史郎氏を先頭に「亀田トレイン」で入場する亀田3兄弟(2018年5月5日、長兄・興毅とWBCフライ級元王者ポンサクレック・ウォンジョンカムとのエキシビションマッチにて)©︎JIJI PRESS 勇利アルバチャコフ(右)やオルズベック・ナザロフと写真に収まる金平。現在もロシアや中央アジアと太いパイプをもつ(本人提供) 西成の街に馴染む金平。取材後、拠点をキルギスに移した 

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