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鹿島の強化部長を20年間務める男。
鈴木満が語る監督、OB、鹿島の流儀。
posted2016/07/15 11:20
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
Shigeki Yamamoto
6月25日ファーストステージ最終節。鹿島アントラーズはアビスパ福岡を2-0でくだし、ステージ優勝を飾った。終盤6連勝の盤石な体制で、他チームが取りこぼす中で勝ち点を失わず、逆転での優勝となった。しかし、圧勝を重ねて追い上げたわけではなかった。
「この何試合かは、いい内容の試合だったわけじゃない。良くない時間帯もあったし、失点してもおかしくないシーンもあった。それでも内容が悪くても勝つ術を持っているのがこのチーム。ピッチで話し合いながら、勝機を見出し、再び自分たちのペースにできる」
福岡戦後に、キャプテンの小笠原満男もこう語っている。
開始早々の福岡の勢いをなんとかしのぎ、セットプレーから先制点を手にした鹿島は、終始落ち着いた戦い方をしてみせた。追加点が決まり迎えた後半は、リスクを冒さず、うまく時間を使いながら、試合を進める。ピンチになっても慌てず、1対1の場面ではキッチリと身体を張って戦う。そして、ギアをアップさせて攻勢に出るときも、ギアをダウンさせて守勢にまわるときも、ピッチに立つ11人が、まるで事前にプログラミングされたかのようにひとつの意思のもとで動いている。まさに鹿島アントラーズの代名詞でもある“試合巧者”ぶりが発揮された試合だった。
「去年よりも今年成長したのは、試合運びの部分。『今はリズムが悪い、相手にやられている』というときも、それを選手全員が共通認識できている。『ちょっと相手に持たせておこう』とか、『この時間帯は力を溜めておこう』というのができるようになった」
目を細めながらこう振り返ってくれたのは、鹿島アントラーズ常務取締役強化部長、鈴木満だ。
鹿島の強化部長を20年務める、通称“マンさん”。
宮城県出身の鈴木は、中央大学から住友金属工業へ入社し、サッカー部で選手として活躍後、1989年に監督に就任。Jリーグ発足に伴い鹿島アントラーズが誕生すると、ヘッドコーチの任につき、1993年ファーストステージ優勝に貢献。1996年から20年にわたって鹿島の強化部長を務めている。
Jリーグ年間王者7回、ナビスコカップ6回、天皇杯4回のタイトルを持つ強豪クラブの編成を20年間続けてきた。アントラーズには“鈴木”という姓を持つ幹部が複数いて、スタッフや選手だけでなく、マスコミ関係者の間でも自然とファーストネームを使うことが多い。
本来は満(みつる)さんだが、“マンさん”と呼ばれる鈴木強化部長は、その愛称同様に親しみやすく、チャーミングな人だ。「写真撮影があるなら、床屋に行って来ればよかったよ」と頭をととのえ、シャツの襟を直しながら、取材がはじまった。