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ユース出身選手の帰還を実現させた、
Jクラブと大学が結んだ10年間。

posted2019/04/16 07:00

 
ユース出身選手の帰還を実現させた、Jクラブと大学が結んだ10年間。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

大学と湘南を経て、今季“古巣”に戻ってきたMF石川俊輝。大宮アルディージャは育成年代でも好成績を残すなど、強化が実を結び始めている。

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平野貴也

平野貴也Takaya Hirano

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J.LEAGUE

 一度ダメでも、二度ダメでも――。挑戦し続けられる環境が、選手を育てる。

 J1からJ2へ、舞台の格下げとなるオファーを選んだ男は「自分の夢だったから、迷いませんでした」と明言した。昨季、J1湘南で28試合に出場し、ルヴァンカップ優勝にも貢献したMF石川俊輝は、J2大宮へ移籍した。

 迷わなかったのは、10年越しの夢だったからだ。

 石川は、大宮の育成組織出身。2009年、高校3年生の石川は、トップ昇格を目指して大宮ユース(今季から大宮U-18に改称)でプレーしていた。ボランチやセンターバックを器用にこなす選手ではあったが、タフさやプレーの連続性など足りない部分も多く、トップ昇格は叶わなかった。

 しかし、大宮が業務提携を結んでいた東洋大学を経て、湘南に加入。激しい定位置争いと残留や昇格をかけた戦いを通して大きく成長。そして今季、高卒・大卒のタイミングでは届かなかった“古巣”からのオファーを受け、夢を実現した。

選手が成長する可能性を消さない。

 加入後、主軸として活躍している石川は「ユースのときは、トップチームの練習では、まだ自分のレベルが足りないという実感があったし、大学でも関東選抜にすら入れなかった。プレースタイルも、大学までは、のらりくらり。それまでとは180度違うスタイルの湘南に拾ってもらって、慣れるのに2年くらいかかったけど、鍛えていただいた」と10年の変化を語った。

 石川がプロの世界で評価を大きく上げたのは、湘南での5年間だ。大宮ユース、東洋大で機能的なポジショニングを学び続け、湘南で、その力を実戦に生かすために足りなかったものが備わった。選手は、どのタイミングで評価を大きく上げるか、わからない。可能性を消さない環境作りが必要だ。

 ユース時代に全国大会で活躍したキャリアを持っていない石川にとっては、大学が可能性をつなぐ選択となったと言えるだろう。ユースでトップ昇格が見送られた当初は、埼玉県リーグを戦う大学を進路に考えていたという。

 ユース時代の恩師である横山雄次(石川が加入した際は湘南でコーチ。現在は、J3長野で監督)の母校である中央大も考えたが、強豪チームで競争率は高く、輝かしい成績を持つ選手と推薦の枠を取り合っても勝てる確率は、高くないと言われていたからだ。

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