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21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。
退団の理由、そして残して行くもの。

posted2015/11/05 10:50

 
21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

浦和レッズで数々の栄光と挫折を経験してきた鈴木啓太。その熱はクラブに残り続ける。

text by

轡田哲朗

轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada

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 今、浦和レッズの歴史を最も知る男の決断だった。10月20日、鈴木啓太は自身のブログで、今季限りで浦和を離れることを決意したと発表した。2000年に入団すると、翌年から背番号を13に変更してレギュラーポジションを獲得。21世紀の浦和レッズの歴史は、そのまま“13番・鈴木啓太”の歴史とリンクすると言っても過言ではない。

 彼ほど、苗字よりも名前で愛されてきたサッカー選手はなかなかいない。選手たちも、サポーターも、愛情をこめて「啓太」と呼んできた。

 啓太と浦和の歴史をたどっていけば、それだけで一晩以上かかってしまうだろう。「緊張しましたよ」と語る'00年天皇杯でのデビューから、浦和の初タイトルとなった'03年のナビスコカップ。セカンドステージを制した'04年に、リーグ初優勝の'06年、アジアチャンピオンズリーグ制覇の'07年といったタイトルを、次々に獲得した輝かしい歴史がある。

 一方で、シーズン中の監督交代を経験し、扁桃炎で離脱した'08年からはしばらく苦しい時期が続いた。'09年からはキャプテンに就任しながら、思うように結果がついてこなかった。'11年にはJ1残留争いに巻き込まれた。そして、'12年からはミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下で再び上昇気流に乗った。しかし、昨季は最終節までもつれ込んだ優勝争いに敗れた。自身のミスで失点に絡んだ啓太は、試合後に「サッカーをやっていて、こんなに辛いことがあるのかな」とこぼした。

不整脈で「やれていたことが、多少制限される」

 一言では言い表せないストーリーを胸に、彼はレッズを離れる決断を下した。「みんなの前で発表したかったという気持ちはないけど、早いタイミングというか、自分の言葉で伝えられたのは良かったのかなと思っている」と、啓太は語る。その決断に大きな影響を与えたのは、昨年の後半から彼を苦しめた不整脈という病魔だった。

「もちろん今やれる100パーセントを出すためにと考えてはいるけれども、そういう部分で多少の難しさがあった。場面によっての症状だし、その日の体調にもよる。自分が今までやれていたことが、多少制限される」

 無念の思いを噛みしめるように、啓太は自身の現状をそう語った。

【次ページ】 阿部、那須という同い年との阿吽の呼吸。

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