#771
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<ドイツのトルコ人社会を訪ねて> メスト・エジル 「現代的トップ下を作った創造性と規律」

2011/02/05
レアル・マドリーでトップ下としての地位を確立したエジル。
トルコ移民の子として ドイツに生まれた彼はいかにして
クレバーでシンプルなスタイルを身に付けたのか。
原点を探るべく故郷ゲルゼンキルヘンを訪ねた。

 どんなにトップスピードで走っていても、メスト・エジルはまるで絨毯に落としたかのように、柔らかいタッチでボールをトラップすることができる。

 1月3日、スペインリーグ17節、ヘタフェ対レアル・マドリー戦の前半19分。

 ディマリアが右サイドをドリブルで駆け上がると、中央にいたエジルが矢のようにゴール前へダッシュを開始した。ディマリアからの強烈なパスをエジルはピタリと止め、顔を上げたままワンフェイントでGKをかわし、無人のゴールにボールを流し込んだ。

 まるで路地裏にいる友達をからかって、ドリブルで翻弄するかのように。

 エジルは今、世界で最も注目される攻撃的MFのひとりだ。レアルのトップ下を任され、ジネディーヌ・ジダンと比較される存在になりつつある。

 '88年、エジルはドイツ西部のルール工業地帯の小都市、ゲルゼンキルヘンで生まれた。ゲルゼンキルヘンはかつて炭鉱で栄えた町で、エジルの祖父は出稼ぎ労働者として、トルコから移住してきた。町はたくさんのトルコ系移民で溢れ、活気に満ちていた。

 だが、'80年代に炭鉱が次々に閉鎖されると、町の様子は一変する。主要産業がなくなり、トルコ系移民の多くが職を失った。エジル一家が住んでいたビスマルク通り周辺は、「ドイツ一貧しいトルコ人街」と陰口を叩かれるようになった。

「サルの檻」で朝から晩までボールを蹴っていた少年エジル。

 しかし、子供が遊ぶのに、地元経済の景気など関係ないだろう。

 エジル家から歩いて1分もかからないところに、小さな土のサッカーコートがある。高さ約3mの金網で囲まれ、入り口には「14歳以上お断り」という看板がかかっている。

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photograph by Tsutomu Takasu

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