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元FC東京“ノリカル”は引退していた。
現役時代の苦楽は仲介人で生かす。

posted2018/05/13 08:00

 
元FC東京“ノリカル”は引退していた。現役時代の苦楽は仲介人で生かす。<Number Web> photograph by Atsushi Iio

西が丘でのFC東京U-23の試合に駆けつけた“ノリカル”こと鈴木規郎。セカンドキャリアでもサッカーに携わる。

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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Atsushi Iio

 2004年6月、夜の国立競技場――。

 左足に弾かれたボールが文字通り“うねりをあげて”ゴールネットに突き刺さる。ナビスコカップのヴィッセル神戸戦、ゴールまで約25メートルの距離から決めた強烈なフリーキックに、スタンドはどよめいた。

 ブラジル代表の左サイドバック、「ロベカル」ことロベルト・カルロスを彷彿させる左足のキック。付いたニックネームは、ノリカル――。

「あれはたしか、U-20日本代表の合宿中に、角田誠だったか、近藤直也だったかが言い出したんです。自分でもけっこう気に入ってます」

 選手の視察に訪れた味の素フィールド西が丘のゴール裏で、鈴木規郎は微笑んだ。

 プロ入りから6シーズン在籍した古巣・FC東京のU-23チームのホームゲームだけに、すれ違うサポーターからは「あ、ノリオだ」との声が聞こえてくる。

「もう引退したんだっけ?」との声も。

「この場を借りて引退を報告します」

 実は1年と少し前、鈴木はスパイクを脱いでいる。だが、そのことを公表していない。いや、正確に言うと、現役最後のシーズンは無所属だったから、引退の報告をする機会がなかったのだ。

「なので、この場を借りて引退したことを報告させていただければ。2016年シーズンをもって、引退しました」

 ウィキペディアを見ると、2002年のFC東京から始まり、神戸、アンジェ(フランス)、大宮アルディージャ、ベガルタ仙台と続いたキャリアは、2015年シーズンのグローバルFC(フィリピン)を最後に途切れている。

「仙台を退団したあと、最後は自分の好きな場所、好きなスタイルで、楽しくやりたいと思ったんですよ。それで、海外に行くことにしたんです」

【次ページ】 フィリピンでは不完全燃焼だった。

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