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原巨人に何があったのか。 

text by

赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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posted2006/08/03 00:01

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[インサイド・レポート]原巨人に何があったのか。

赤坂英一=文

text by Eiichi Akasaka

 「監督を辞めたとき、煙草もやめたんだ」

 ジャイアンツが今シーズン最初の8連敗を喫していた最中、東京ドームの一塁側ベンチで、原辰徳は不意に昔話を始めた。志半ばで一度監督を辞した2003年、その悔しさを晴らすために禁煙を決意したのだと言う。

 「監督を辞めたときは、とても悔しかった。絶対にこの悔しさを忘れちゃいけない。そういう誓いを胸に刻み込むために、何かひとつ自分の好きなものをやめよう、と思ってね」

 あれから丸2年、監督に復帰した今年、3位を維持した― '03年より厳しいシーズンを送っている。最大14だった貯金を失い、借金が2桁に達して、最下位争いをしているのだ。

 2度目の8連敗が始まったころ、オーナーの滝鼻卓雄は再三、東京ドームに姿を現していた。「悪いときにオーナーになったと思います」とは、偽らざる本音だろう。しかし、ドームの駐車場で新聞記者たちに愚痴をこぼす滝鼻を見て、「どうしてああいうことを言うのか」とつぶやいていた選手がいた。

 川相昌弘である。ジャイアンツで犠打の世界記録512を樹立し、守備コーチに就任するはずだったが、原の辞任とともに憤然と現役引退を撤回。中日に移籍して、いまもなお選手生活を続けている。

 「余計なことをコメントするべきじゃない。わからない、と言っておけばいいでしょう。現場のことは現場に任せてますから、と」

 3度目の8連敗が続いていた7月13日、原は突然、読売新聞社に呼ばれた。表向きには球団会長の渡邉恒雄、オーナーの滝鼻と再建策を話し合ったとされる。が、例年の前半戦終了報告より約1週間も早く、前日に渡邉が予告した上で行われた会談には、世論の反応を窺う意図が感じられた。首位を独走した4月以来のスポーツ各紙の1面だったが、話題は原の進退である。

 それでも、原はこう言うしかなかった。

 「会長、オーナーと話をすることができて、よかった。改めて、勇気をもらいました」

 読売本社での会談の翌日、ジャイアンツはまた敗れた。ヤクルト戦で抑えの豊田清が打たれ、逆転サヨナラ負け。先発したエースの上原浩治は試合後、涙を流した。

 何故、こんなことになったのか。改めて、記録的な低迷の経緯を辿り直してみよう。

 最初の要因は何と言っても怪我人の続出にある。交流戦の始まった5月以降、高橋由伸が左肩を痛め、阿部慎之助も右手親指の捻挫で戦列を離れた。控え捕手の村田善則は左肩の関節を負傷、外野手の斉藤宜之も左足小指を骨折、進境著しい矢野謙次までが左足小指骨折と右肘の故障で登録抹消されてしまった。

 このときは、主将の小久保裕紀がチームを踏ん張らせた。初めて5連敗した5月30日、選手たちを招集し、「今までにやってきたこともこれからやることも同じだ。目標は変わらない。切り替えてやっていこう」と、奮起を促したのだ。ここからベテランの清水隆行が、2試合連続でサヨナラ勝ちのヒーローになり、若手も3年目の内海哲也、西村健太朗が力強いピッチングを見せた。さらに新人の脇谷亮太が6月4日の西武戦に堂々スタメンでプロデビューを果たし、清水のサヨナラ犠牲フライで決勝のホームを踏んだ。歯車が噛み合い、勢いが蘇った。5連勝、ジャイアンツは息を吹き返したかに見えた。

 その矢先、小久保が故障してしまった。右手親指骨折で手術をし、全治2カ月。牽引車を失ったチームは、ここから8連敗。それまでにも頻繁に一、二軍の選手を入れ換えていた原は、さらに目まぐるしく登録と抹消を繰り返すようになった。

 こういうとき、原には心強い相棒で、よき相談相手がいる。二軍監督、吉村禎章である。

 「二軍の仕事は、一日中気が抜けないね。朝は6時過ぎに起きて、8時過ぎから夜の6時半ごろまで試合と練習。で、家に帰ってナイター見てさ、(原)監督から電話がかかってくるのはそのあとや。うっかり眠れないよ」

 苦笑いしながらも、吉村の口調はあくまで前向きだった。

 「脇谷なら、チャンスはあると思った。そしたら、いきなりスタメンや。それだけ、一軍の目が二軍に行き届いてるのよ」

 しかし、二軍内野守備走塁コーチの福王昭仁はこの程度では喜べないと戒めていた。

 「たまたま結果が出たからって、それが何だってのよ。脇谷が小久保を脅かして、小久保もうかうかしてられないと感じてこそチームの底上げになる。それで初めて脇谷が出てきたと言えるんだ。あんなんじゃ、まだまだ」

 確かに、「まだまだ」だった。

 やがて、ミスの連鎖が生まれ始めた。入れ代わり立ち代わり起用される選手が、何度となく同じ失敗を繰り返した。故障の癒えた斉藤が凡フライを目の前に落とし、高橋が打球をグラブで弾き、移籍組ではセカンドの小坂誠が送球をこぼし、サードのジョージ・アリアスも悪送球で失点を献上。走塁ではジョー・ディロンや鈴木尚広が判断を誤って得点機を逃した。原は、吐き捨てた。

 「凡プレーが出ると、せっかく手繰り寄せた流れが相手に行ってしまう」

 とはいえ、責められるべきは選手だけではない。原にも、焦りと迷いがあった。

 例えば、斉藤が実戦に復帰したのは6月7日、イースタンのヤクルト戦だった。二軍は、外野手の山田真介が木村拓也との交換トレードで広島に移籍し、鈴木尚広も十川雄二も故障、ファーストの吉川元浩が外野を守る事態で、斉藤を使うほかなかったのである。

 「ぼくを含めて、いまの二軍には試合に出られる外野手が3人しかいない。骨折した左足は、まあまあ、というぐらいです」

 斉藤はその夜、一軍に呼ばれた。

(以下、Number658号へ)

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