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多田修平の人生が変わった瞬間。
ゆるい雰囲気の裏には負けず嫌いが。

posted2017/08/21 07:00

 
多田修平の人生が変わった瞬間。ゆるい雰囲気の裏には負けず嫌いが。<Number Web> photograph by AFLO

2017年が始まった時の多田修平は大学日本一ではあったが、世界はまだはるか遠くだった。この1年は彼の人生を大きく変えたに違いない。

text by

及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

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AFLO

「人生が変わった瞬間」は、人生に何度訪れるのだろう。

 その瞬間に気づかない人もいれば、その瞬間をしっかり刻み込む人もいるだろう。

 多田修平(関西学院大)は後者だ。

「あの試合から僕の陸上人生が変わりました。自分の転機になった試合だと思います」と、多田は振り返る。

「あの試合」とは、5月21日に行われたセイコーゴールデングランプリ川崎(以下、GGP川崎)で、その試合で多田は一緒に走った選手、そして観客に強烈な印象を残した。

 ジャスティン・ガトリンやケンブリッジ飛鳥、サニブラウン・アブデルハキームなどの有力選手が名を連ねた試合で、多田の下馬評は高くなかった。むしろ多田を知らない人がほとんどだった。

 2レーンに入った多田は号砲とともに飛び出し、70mほどで3レーンに入ったガトリンに、ゴール直前でケンブリッジにかわされたものの、10秒35の3位に入る堂々としたレースを見せた。

会見後も興奮さめやらなかったガトリン。

 無名の大学生の走りに観客も大いに沸いた。レース後、ガトリンが真っ先に握手に駆け寄ったのは、ケンブリッジでもサニブラウンでもなく、多田だった。興奮冷めやらぬガトリンは、レース後も自分のレース内容そっちのけで多田のことを褒めまくった。

「名前は知らないんだけど、隣の小柄な選手がポーンと出て、気づいたら前にいて、『やばい』と思いながら必死で追いかけた。素晴らしい走りだった」

 日本の報道陣へのリップサービスではなく、本心だった。「タダ」という名前を報道陣から教えられると、「タダが本当にすごくいい選手でびっくりした」といい直した。

 会見が終わってからもガトリンの興奮は冷めず、「気づいたら5mも前にいて」、「こんな低い姿勢で出られて」などと、通路でチームメイトやコーチの前で多田の走りを大げさに真似し、周囲から失笑を買っていた。

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