話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
堂安律がオランダで成功する理由。
人間性、メンタル、遠藤の太鼓判。
posted2017/06/29 11:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
堂安律がオランダ1部リーグ、フローニンゲンへの期限付き移籍を果たした。
尊敬する宇佐美貴史のバイエルン移籍の時と同じ期限付きで、実は退団セレモニーの日にち(6月25日)も天候(雨)も引分という結果もまったく同じだった。1年前、ベンチで見ていた先輩の後につづいて同じタイミングで海外に旅立つ奇跡のような偶然の一致に何かしらの意味を探してしまうが、堂安は「試合に出ることを優先した」という点において、宇佐美とは異なる選択をしたと言える。
中田英寿の時から海外移籍を果たした選手をみてきたが、技術が高いことを踏まえた上で、海外で活躍できるか否かのポイントは、その選手の「人間性」とプレイヤーとしてのビジョンが明確であることに尽きる。
堂安は、その両方を兼ね備えている。
「ガンバ大阪のジュニアユースから今までの7年間、このクラブには家族のような場所として所属させてもらいました。このクラブのフロント、スポンサー、コーチングスタッフ、チームメイトのみんなに感謝したいと思います。そして一番はここのクラブのサポーターのことが大好きです。しっかり向こうで頑張ってきたいと思います」
堂安は、退団セレモニーの最後、そう語った。
前日の夜、1人でスピーチの草稿を考えたというが、お世話になった人たちに対してしっかりと「感謝」の気持ちが述べられている。いつもは勝気なコメントが多いが、こういう場で感謝の気持ちを忘れずに声に出して言うのはなかなかできることではない。堂安の優れた人間性の一面を垣間見た気がした。
ちょうど1年前は、PSVのオファーを断った。
ビジョンも明確だ。
昨年、同時期にPSVからオファーを受け、海外に挑戦できるチャンスがあった。だが、当時はトップチームの試合に出場できず、J3で悶々とした日々が続いていた。ハードワークやオフザボールでの動き、スピードに課題を抱えていた堂安は今、海外に行っても活躍できないと断念した。そして、今回の移籍になったわけだが、背中を大きく押してくれたのは、U-20W杯韓国大会だったという。
「U-20W杯で感じたことは同世代では力的に劣るもんがなかった。ただ、これ以降、徐々に差が開いていくと言われているので、ここから自分を厳しい環境に置いていかないと成長できない。それで海外でやりたいと思った」