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あの悔しさが広島優勝の原動力に。
1996年メークドラマの「悲劇」。

posted2016/09/27 17:00

 
あの悔しさが広島優勝の原動力に。1996年メークドラマの「悲劇」。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1989年、ドラフト1位で入団した野村謙二郎は'91年の優勝メンバーとなり、“メークドラマ”の'96年には3番遊撃手としてチームの要となっていた。

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki

「リメーク・ドラマ」

 今年8月、プロ野球の現場では、こんな言葉が囁かれていた。

 11ゲーム差をつけて、首位を独走していた広島が、2位巨人に徐々に差を詰められていた。関係者やファンの脳裏をよぎったのは1996年、11.5ゲーム差をひっくり返されて優勝を逃した悲劇、いわゆる巨人にとっての「メークドラマ」だった。

 当時と状況が酷似していることから、何度も、何度も、20年前のことが掘り起こされ、その再現という意味で、冒頭の言葉が生まれたのだ。

 そんな中、こう断言する男に会った。

「大丈夫。今年はそんなことは起こりませんよ」

 野村謙二郎だった。

広島25年ぶりの優勝の、種を蒔いた人・野村謙二郎。

 '96年、3番遊撃手のチームリーダーとして、あの悲劇を経験したレジェンドだ。果たして、野村の言葉を聞いてから2週間後、カープはついに四半世紀ぶりの扉を自分たちの手で開けた。

 今シーズンの圧倒的なリーグ制覇が25年ぶりに咲いた花ならば、野村はその種を蒔いた人だ。引退してから5年が経過した2010年、監督に就任した。当時は12年連続Bクラスが続いていたが、まず、負け犬根性が染み込んだ土壌を掘り返すことから始めた。就任会見で「優勝を目指します」と断言した。評論家やメディアからは苦笑すら起こった。

「空気を変えたかった。周りからバカじゃないか、と思われてもいい。そういう気持ちで、信念を持って、言いました」

 プロ球団であれば、全チームが目指すべき「優勝」とすら、口にできない球団の雰囲気を変えようとした。

 そして、グラウンドで最初に手をつけたのが、未来のための種子を探すことだった。

 監督3年目のキャンプ、ドラフト2位で入団してきた小柄な内野手に目を奪われた。地方大学出身だったその選手は、ノックを打つと荒削りで余分な動作が目立った。ただ、1つアドバイスすると、次の打球を捕る時にはアラが1つ消えていた。次の打球も、次の日になっても、同じようにできた。

「一度、教えても翌日には元に戻っているということが多い。クセというのは、なかなか抜けない。だから、こんな子、珍しいな、とコーチと話したのを覚えています」

 それが菊池涼介だった。

【次ページ】 野村が蒔いた種は、太い幹の木にまで育った。

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菊池涼介
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