JリーグPRESSBACK NUMBER
「もう、やる気自体がない」の衝撃。
興梠慎三は、何に苦しんでいたか。
posted2016/09/21 11:00
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
「もう、やる気自体がないから」
試合後のミックスゾーンでその率直な言葉を聞いた私たち記者陣は、一様に苦笑いを浮かべた。しかし、その男は「いや、まあ、それが本音で」と、こちらの反応に対して決して冗談ではないという表情で話を続けた。
浦和レッズの興梠慎三は17日のFC東京戦で途中出場すると、後半42分に駒井善成のクロスを頭で合わせて決めた。チームの勝利を決定づける3点目は、7月13日のベガルタ仙台戦以来、2カ月以上離れていたゴールの味だった。
その仙台戦と翌週の大宮アルディージャ戦を最後に、興梠は一度チームを離れている。リオデジャネイロ五輪のメンバーに、オーバーエイジとして参加したからだ。しかし、そのメンバー参加にあたっては逡巡があった。興梠のメンバー入り内定が発表されたのは6月下旬で、まさに浦和がファーストステージの終盤戦を戦っていたころ。勝負どころのゲームで3連敗を喫し、優勝の可能性を失った時期だった。
悩みに悩み、仲間に背を押されて五輪出場を決意。
その時に興梠は、試合に対して「常にモヤモヤしたまま臨んでいた」と明かしていた。「オーバーエイジは即戦力というイメージがあるので、それに見合ったプレーをしなければいけない。調子が悪いなかで呼ばれて『こんなので良いのか』という思いもありましたし、そんなんじゃやっていけないとも考えていた」のだという。
その様子をチームメートの柏木陽介も感じ取り、背中を押したのだという。
「慎三は恥ずかしがり屋というか、嬉しいのを素直に受け入れられないところがあるから。こんなチャンスがあるのに行かないのはもったいないよと。あの大舞台で活躍できたら年齢に関係なく素晴らしいことだし、オレは慎三が出ていた方が見たいと思うから、全力でやってほしい。人生は一回だし、3人しかない枠(オーバーエイジ)に監督から出てくれと言われるのは、そんな光栄なことはないよと。そういう話はしました」
悩みに悩んで、仲間にも背中を押されて、興梠は五輪への参加を決断した。「行くからには最大限の力を」と、リオへ旅立った。結果は伴わなかったが、全力を出し尽くして帰国した。だが、その大舞台に対して高めたモチベーションが、諸刃の剣となってその後の興梠を苦しめた。それが、冒頭の言葉につながったのだ。