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ビアンキ逝去。セナ以来のF1事故死に
残された者がすべきことを考える。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2015/07/25 10:50

ビアンキ逝去。セナ以来のF1事故死に残された者がすべきことを考える。<Number Web> photograph by AFLO

フェラーリ・ドライバ・アカデミーを経てマルシャからF1参戦して2年目。全34レースに出走し、最高位は2014年モナコの9位。それが唯一F1で獲得した2ポイントとなった。

「大変悲しいことですが、ジュール・ビアンキの両親であるフィリップとクリスティーヌ、そして兄弟のトム、姉妹のメラニーは、ジュールが昨夜2014年10月5日に鈴鹿サーキットで行なわれたF1日本GPでの事故後に入院していたニースの中央大学病院で亡くなったことをお知らせします」

 ビアンキの死を知らせる悲しい声明文が彼の家族から届いたのは、ビアンキの死から1日経った7月18日のことである。声明文には、さらに以下の文面が綴られていた。

「ジュールはいつも彼がそうであったように、最後の最後まで戦いました。しかし今日、その戦いも終わりを告げる時が来ました。私たちが負った心の傷は計り知れないほど深く、言葉では言い表せないものがあります。

 愛情をもって、そして献身的にジュールの看病にあたってくださったニース中央大学病院の医療スタッフに感謝しています。また、事故直後にジュールの看護を行なった三重県の総合医療センターの方々、そしてここ数カ月の間にジュールを治療したすべての先生方にも感謝しています」

日本GPでクレーン車に激突、入院していたが……。

 ビアンキが脳に深刻なダメージを負ったのは、昨年10月に開催された日本GPのレース中のことだった。

 雨脚が再び強くなりだした43周目に、ビアンキがコントロールを失ってコースアウトした際、ビアンキと同様に前の周にクラッシュしていたスーティルのマシンを撤去しようとラン・オフ・エリアの上を移動していたクレーン車に激突したのである。

 レースはその後赤旗が出され、再開することなく終了。

 悪天のため、ドクターヘリを飛ばすことができなかった鈴鹿のメディカルスタッフは、救急車で四日市市にある三重県立総合医療センターへビアンキを搬送した。

 緊急手術によって一命はとりとめたものの、あまりにも激しい衝突によって、ビアンキの脳はびまん性軸索損傷を患い、重篤な状態が続いていた。

 それから約1カ月後の11月に昏睡状態を脱したビアンキは、家族とともに故郷であるフランス・ニースの病院へ転院。自発呼吸も開始していた。

【次ページ】 '94年のセナから21年間死者は出ていなかった。

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