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“弱いロッテ”を変えた強気と度量。
里崎は最後まで「野球好き」だった。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/09/30 10:40

“弱いロッテ”を変えた強気と度量。里崎は最後まで「野球好き」だった。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

引退セレモニー後、紙吹雪が舞う中でスタンドに手を振る里崎。ちなみにロッテが発売する「ビックリマン」の終身名誉PR大使に就任するなど、現役を退いてからもファンを楽しませてくれそうだ。

1回の失敗で気持ちが窮屈になってしまうのも嫌だ!

「ミーティングでしっかりとノートにメモしたり、対戦相手の試合を見ながらデータをまとめたり、そういうことはもちろん続けていましたよ。でも、僕は失敗しなきゃ成長できないと思っているんで。どんなにデータを頭に詰め込んで、セオリー通りのリードをしてもピッチャーが打たれて負けたら、誰も『ナイスリード』とは言ってくれませんよね。

 野球は失敗のスポーツなんで、それをどう活かすかが重要で。野球が好きでやっているわけだから、1回の失敗で気持ちが窮屈になってしまうのも嫌だし。どんなにいいプレーをしたところで、結果を出せなければチームから信用されないわけでしょ。だったら、どうしたら野球がうまくなれるのか? 勝利に貢献できるのか? だけを考えて。最終的にそれは、自分がいい気分を味わうことにも繋がりますしね。そのために、年々、ハードルを上げて練習している感じですかね」

 その精神が根幹にあるからこそ、時に直感を信じて強気にリードすることができたし、先輩投手であっても臆することなく発破をかけることができた。

'05年&'10年のポストシーズンとWBCでの活躍は語り草に。

 打撃面でもそうだ。大舞台での里崎の勝負強さは、ロッテファンであれば誰でも知るところである。

 '05年のソフトバンクとのプレーオフ第2ステージ。2本塁打と当たっていた里崎は、第5戦でも8回に勝ち越し二塁打を放ちリーグ制覇に大きく貢献した。阪神との日本シリーズでは31年ぶりとなる日本一の支えとなり、翌年に開催された第1回WBCでも決勝までの全8試合に出場し、4割9厘の高打率を残してベストナインを獲得。「世界一の捕手」の称号を得た。

 '10年も鮮烈だった。レギュラーシーズンでは背中の痛みにより満足にプレーすることができなかったが、西武とのCS第1ステージでは2試合で4打数4安打4打点と爆発。3位から日本一へと駆け上った、「史上最大の下克上」の足がかりを築いたのが里崎だった。

 かつて「弱小」と呼ばれていたチームが、里崎が正捕手となってから「強者」と呼ばれるようになった。彼がロッテに残した功績は余りにも大きい。

【次ページ】 名捕手、そして指揮官・伊東勤の目から見た里崎。

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