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野手転向と怪我を乗り越えた、
ヤクルト・雄平の“復活劇”。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph byHideki Sugiyama

posted2014/06/05 10:30

野手転向と怪我を乗り越えた、ヤクルト・雄平の“復活劇”。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

5月28日、対日本ハム戦の4回、大谷翔平から9号ソロを放ったヤクルト・雄平。8回にも10号ソロを放ち、“二刀流”に別れを告げた29歳は、自身初のシーズン2桁本塁打を記録した。

新人年に27登板、100イニング以上を投げたが……。

 拙著『2003年版 プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社)では投手の部分にスポットを当て「1シーズン、マウンドに立ち続けるプロの体力、体格という点で即戦力を危ぶむ声もあるが、『先発の6番目』という役割くらいなら十分こなせそうな気がする。左腕という希少価値も1年目からの活躍を後押しするだろう」と書いた。

 要するに、投打両面で“超高校級”の評価が与えられていたのが当時の雄平だった。今年の5月28日、日本ハムとの交流戦で大谷翔平と石井裕也から本塁打をかっ飛ばすと、翌日の日刊スポーツは「“二刀流”先輩の意地」の見出しを立てた。大谷出現の10年前、投打二刀流で輝いていた高井雄平を思い出した人は少なくなかったはずだ。

 新人年の'03年には27試合に登板していきなり102イニングを投げ5勝6敗。将来の大成を予感させるには十分な成績と言えるだろう。しかし、これ以降シーズン100イニングを超えることはなく、'09年を最後に野手に転向したとは最初に書いた通りである。

打者としてレギュラーを手中に収めかけた時期の重傷。

 '10、'11年は一軍での出場はない。ファームでの成績は以下の通りだ。

'10年 98試合、307打数、87安打、4本塁打、打率.283
'11年 96試合、294打数、97安打、5本塁打、打率.330(リーグ1位)

 打者としての非凡な素質を感じさせる成績である。'12年は一軍で47試合に出場して打率.280、'13年は開幕3試合目の阪神戦からスターティングメンバーに名をつらね、出場が途絶える4月中旬までほぼ毎試合のようにスタメン出場を果たし、打率.297とレギュラーを手中に収めかけた。悪夢が襲ったのは4月17日の中日戦。守備のときに右膝を負傷し、これが前十字じん帯の断裂という思いもかけぬ重傷だった。

「本人以上に監督やチームにダメージを与えたと思いますよ。チームはあのケガから一気に負けが込むようになりましたから。本人も焦っていたんでしょう。即交代せず、じん帯断裂のままプレーを続けていましたね」(チーム関係者)

【次ページ】 1年間をリハビリにあて、今年は勝負の年だった。

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