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雲の切れ間に射す光。──ハミルトンのルーツを訪ねて。 

text by

坂野徳隆

坂野徳隆Narutaka Sakano

PROFILE

posted2007/10/07 00:00

 イギリスの空は広い。そしてたいてい灰色にくすんでいる。

 ロンドンから北へ約30km。イギリスでもっとも古いカートコースのひとつである“ライハウス・カートレースウェイ”の上に広がる空も雲に覆われていた。ここまで車窓に流れたレンガ色のコンパクトな町並みや、雄大な牧草地、階調に富む森の緑もくすんだ色として印象に残る。広いが狭く、往々にして深く、鮮やかそうで落ち着いた色。それがイギリスの色であり、英国文化と社会を体現しているように見えた。

 サーキット関係者と話をしている間に路面に光が射した。見上げると珍しく青空が覗き、レース旗やカートのボディの色彩が輝いた。

 「11年前、ルイスはここで走ったカーター(カートドライバー)のなかでただ一人の黒人だった。そのために目立ち、ロン(・デニス)が『あれは誰か』と私に訊いたんだ」

 最初にその少年の才能を見出し、自身のチームに加入させたマーティン・ハインズは当時を回想する。彼は「カートのグル(師)」の異名をとる元カートチャンピオンであり、ZIP KART社長として、若手ドライバーチーム「ヤングガンズ」を運営サポートする。すでに数発がメジャーフォーミュラまで貫通し、デビッド・クルサード、アンソニー・デビッドソンらが輩出している。

 「私は答えたよ。あれはルイス・ハミルトン。それでロンは、彼はどう、と私に訊いた。私は言った。彼は特別にいい、とね」

 ──“色”こそが、彼ルイス・ハミルトンの伝説のはじまりだった。それはまるで路傍のバラの鮮やかな色彩や、時折の晴れ間のごとく、単調な色に染まる英国ジュニアレースシーンに突如煌き、出現したのである。

 ルイス・カール・ハミルトンが生まれたハートフォードシャー州はロンドンの真北に位置し、古く落ち着いた町並みが広がる。ステヴィニッジは、ロンドン・キングスクロス駅から快速列車で20分ほどと近く、夕方になると駅から帰宅の通勤客が湧出する閑静なベッドタウンだ。そこから南東へ10km、牧歌的な景色に佇むトゥインは、地元の人がいうとおり「なにもない寒村」だった。

 ルイスは1985年1月この村で生まれた。父アンソニーはカリブの島グレナダからの移民二世で英国鉄道職員、母は保母などをするカルメンという白人女性である。カリブ海一帯に植民地を有していたイギリスには、旧宗主国へビザ優遇制度により移住する黒人が多く、ルイスの祖父デビッドソンも'56年に大西洋を越えてきた(20年後グレナダへ帰国し存命)。

 しかしアンソニーとカルメンはルイスが2歳のときに離婚。ルイスは当初カルメンとステヴィニッジ郊外に移り、次に父の再婚相手でやはり白人のリンダと、その子である腹違いの弟らと暮らす。高校進学後はその家族でトゥインに戻り暮らすことから、ルイスは「トゥイン出身のヒーロー」と地元紙では形容される。トゥインは〈Tewin〉と書くが、地元の発音を聞いていると、まるで「勝つため〈To Win〉」に生まれてきたルイスを象徴しているかのようだ。

【次ページ】 初レースから発露していた、ルイスの類い希なる才能。

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