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不幸な事件が阻んだ“セレシュの時代”。 

text by

吉松忠弘

吉松忠弘Tadahiro Yoshimatsu

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photograph byHiromasa Mano

posted2008/03/13 00:00

不幸な事件が阻んだ“セレシュの時代”。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

 新聞記者という特性上、取材し記事を書くと、すぐに忘れていく癖がある。その中でも、やはり印象的なシーンは心に残っているものだ。'92年全仏女子シングルス決勝も、そのひとつである。グラフとセレシュの死闘は最終セット10―8でセレシュに軍配があがった。セレシュの目は鬼気迫る迫力で、離れたプレス席からでも鳥肌が立った。そのセレシュが、2月14日に、正式に引退を表明した。'03年全仏を最後に1試合もしていなかったから、実質的には引退していたも同然。「復帰しようと考えたこともあるが、あきらめた。ツアーに参加することはもうない」と、ついにラケットを置くことを決心したようだ。

 米フロリダにあるボロテリー・テニスアカデミーで修行を積み15歳でプロに転向。'90年全仏では4大大会最年少優勝を遂げた。'91年には、グラフの世界1位連続記録を186週で止め、最年少で世界1位に輝いた。セレシュ時代の到来は時間の問題だったが、悲劇が起きる。'93年4月30日、ハンブルクで行われたシチズン杯準々決勝。チェンジコートで観客席に背を向け座っていたセレシュは、暴漢に背中を刺された。犯人は熱狂的なグラフ・ファンで、グラフを世界1位に復帰させるのが目的だった。ケガは大事には至らなかったが、セレシュの受けた精神的ダメージは大きく、'95年8月までツアーを離脱。グラフからセレシュへの自然な女王交代は失われ、テニス史の流れにいびつなヒビが入った。セレシュは復帰後、'96年全豪を制したが、刺傷事件以前と同じ輝きを取り戻すことはなかった。

 事件がなく、セレシュ時代が築かれていたら、女子テニス界はどのように変わっていたのだろう。セレシュの4大大会優勝回数は9で歴代8位。'92年にはウィンブルドン準優勝以外、すべての4大大会を制していた勢いから考えて、間違いなくタイトル数は2桁になっていただろう。グラフの22勝の更新も夢ではなかったはずだ。'97年にヒンギスがセレシュの記録を抜き、最年少で世界1位となり、時代はヒンギスに傾いていく。セレシュが健在だったら、ヒンギスの台頭も遅れていたかもしれない。そう考えると、返す返すもグラフからセレシュ、セレシュからヒンギスという正常な女王交代劇を見てみたかったと思う。

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