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テニス界を席巻する
新興ロシア美女軍団。 

text by

山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

PROFILE

posted2004/10/07 00:00

 元女王のセリーナ・ウィリアムズは最近こう言っていた。

 「今、ロッカールームでは英語よりもロシア語が飛び交っているわよ

 女子テニス界は空前のロシアブームである。今年は、グランドスラム4大会のうち3つをロシア人が制した。フレンチオープンは妖しい黒髪のアナスタシア・ミスキナ、ウィンブルドンではスレンダー美女のマリア・シャラポワ、そして先のUSオープンでは異色のがっちり体型スベトラナ・クズネツォワ。しかもフレンチとUSの決勝は同国対決だった。いずれも準優勝は知的なお嬢様エレナ・デメンティエワである。

 USオープンの本戦出場者はロシアにとって四大大会過去最多の15人。大会直後の世界ランクではトップ10に4人、トップ20には7人入っている。10年前ならトップ10はおろかトップ40にも一人としていなかった。

 今をときめくロシア選手たちは、その躍進について口を揃える。

 「同じ国の選手がたくさんいることで競争意識が強まるし、『あの子が優勝できるなら私にもできる』って自信にもなるの」

 4年前、進境著しいロシアの10代に興味津々の各国記者たちが、フレンチオープン期間中に数人をインタビュールームに招いたことがある。ひとりは現在世界2位のミスキナだった。質問を矢継ぎ早に浴びせられる中、「私たちはスポンサーから借金をしてツアーを回り、賞金が入れば返済している」と答えていた。涙ぐましくも思えるが、その話しぶりは屈託がなかった。稼いだ賞金の多くを協会に取られていた以前のロシアの実態を思えば、それでも幸せだったのかもしれない。

 ソ連時代、ロシアではテニスという競技は冷遇されていた。1928年から '84年まで五輪の正式競技でなかったため、政府がサポートすることはありえなかったのだ。ラケットを握る若者たちには、ツアーを回る資金も知識もなかった。

 今、活躍する多くのロシア女子がテニスを始めたのは '80年代後半の民主化以降である。その頃から、世界の頂点を目指す術を知らなかったロシアへ、主にアメリカからコーチや代理人が乗り込み、テニスがビジネス化していく。夢は広がり、少女たちはより大きな可能性を求めて、たとえばシャラポワはアメリカへ、クズネツォワはスペインへ渡った。広いロシアで火がついたテニスは、その後、美貌のアンナ・クルニコワの成功でますます人気が高まり、多くの才能を世界へ輩出した。

 近年の女子ツアーは、マルチナ・ヒンギスのような技巧派が消え、ヴィーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹を筆頭としたパワー全盛の時代になっていた。同時に、パワー化と力の拮抗に伴うハードワークがケガの原因となり、トップが地位を長く維持できない状況も生まれていた。

 そのうつろいやすい時代に、ロシアの新鋭たちの入り込む隙があったようだ。ハングリー精神を糧に、それぞれがプラスαの武器を強化し、パワーテニスを攻略してきた。シャラポワは長い四肢を十分に生かしたコートカバー力で、ミスキナはパワープレーヤーのリズムを崩す緩急ミックス打法で、クズネツォワはクレーで仕込んだ安定力、デメンティエワは打ち合えば決して負けない粘りで……。

 それにしてもこの先、ロシアの勢いはどこまで続くのか。ジュニア世代を見るとロシアを含めた東欧諸国の名前が目立つ。「私にもできる」精神の下、女の下克上は恐ろしく広がりを見せていくのかもしれない。

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