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23年間、ジャズ一筋を貫いた
名将の去り際。
~NBA史上最長監督スローン~ 

text by

宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

PROFILE

photograph byNBAE/Getty Images

posted2011/02/24 06:00

23年間、ジャズ一筋を貫いた名将の去り際。~NBA史上最長監督スローン~<Number Web> photograph by NBAE/Getty Images

通算1221勝は歴代3位で、同一チームの監督在位は北米プロスポーツ界の最長記録

 2月10日、NBA界を大ニュースが駆け巡った。ユタ・ジャズのヘッドコーチ、ジェリー・スローンが突然、辞任を発表したのだ。23年間ジャズのヘッドコーチを務めたスローンは、変化の激しいNBAで数少ない不変の存在だった。選手が入れ替わり、ライバル・コーチたちが解雇され、辞任していく中で、ジャズのコーチであり続けた。

 実は、スローンにとって最初のヘッドコーチ職は僅か5日間しか続かなかった。現役を引退した直後の'77年1月に母校エバンズビル大のヘッドコーチに就任したのだが、就任5日後、個人的な事情を理由に辞任している。

 このとき5日間で辞めたことが、長いコーチ・キャリアを可能にした。その年の12月、エバンズビル大のチームを乗せた飛行機が離陸直後に墜落し、乗客全員が死亡したのだ。後任のヘッドコーチもその中に含まれていた。

「あの時、バスケットボールより大事なことがたくさんあるということに気づいた」と、スローンは'09年、殿堂入りスピーチで語っていた。

 この経験によって死を身近に感じたからこそ、バスケットボールだけが人生ではないと悟ることができた。毎日のコーチングに打ち込む一方で、家族との時間を大事にし、勝ち負けで自分を消耗しすぎないように心がけた。

年々大きくなった選手とのジェネレーション・ギャップ。

 いつまでコーチを続けるのかと聞かれると、そのたびに「毎朝、コーチ最後の日になるかもしれないと思っている」と答えていた。まわりから見ると23年間、安定して続けていたかのようだったが、スローン自身にとっては、毎日、終わりの日を意識しながら、その結果として誰よりも長く続いた23年間だったのだ。

 時代の流れが速くなる中で、彼のまわりだけは時が止まっているかのようだった。古い時代の価値観がそのまま生きていた。それを素晴らしいと賞賛する人もいれば、古臭いと批判する人もいた。若い選手とのジェネレーション・ギャップは年々大きくなっていた。漏れ伝えられるところでは、選手との衝突も少なくなかったという。

「私自身のエネルギー・レベルが低くなってしまった」と、スローンは辞める理由を説明した。「私の時間は終わりだ。先に進むときがきた」

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