サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
“川崎山脈”から日本代表、高校教師へ。
代表1キャップ、箕輪義信の人生。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2017/11/10 11:00
赴任一年目の菅高校は高校選手権予選で早期敗退。じっくり指導に取り組める来年以降、結果は変わるか?
「もしあのキャップ1がなければ……もう少し長く」
あの日の試合の映像は、今でもフルマッチでは見たことがない。当時のユニフォームもダンボールに詰めて奥の方にしまってあり、あえて取り出すこともない。
「日本代表になれて、幸せだったかって? それは幸せです。でももうちょっとやれたんじゃないかという思いもあるんですよね。元代表です、と言ったって、『え? いつの?』という反応も多いですし」
29歳での初代表、という点も実際には少なからず後のキャリアに影響を与えた。
ウクライナ戦の後、Jリーグの試合でも相手サポーターからあのファウルを野次られた。のみならず、相手選手が「代表選手なんだろ?」といわんばかりに意識的に強く当たってくるようになった。もし自分が20代前半だったら――それを受け止め、より強く戦っていただろう。しかし29歳とあっては、すでに年齢的には変化に対応しにくくなっていた。
「あの後しばらく、トラウマのようになって、Jリーグの試合でも強くいくべきか迷う、という状況が続きました。チームに戻って最初の試合で似たようなファウルもしてしまって。少しビクビクさえしていたんですよ」
その後、'08年にコンサドーレ札幌に移籍したが、キャリアの最後の2年は負傷でほとんど試合出場も叶わず、2011年に35歳で静かにシューズを脱いだ。
「もしあのキャップ1がなければ……もう少し長く、エンジョイする気持ちも持ちながらプレーを続けていたかもな、と思うこともありますね」
今の高校生は「こんなもの」とレベルを決めつけている。
現在、箕輪が指導している菅高校サッカー部は、今年の高校選手権予選で神奈川県2次予選で姿を消した。
時折、生徒たちのゴール前での軽いプレーやチャレンジしていないプレーが原因で失点を喫することがある。
刹那、感情が高ぶる。
「おい、誰のゴールだと思ってんだ! みんなのゴールだろ?」
こう叱りつけると、生徒たちは決まってスーッと引いたような態度を見せる。
「たとえゴールを奪われても、『自分たちができることをすべて尽くした結果』という答えができるように戦ってほしいんです。あと、今の高校生に感じるのはなんとなく『自分たちはこんなもんかな』とレベルを決めつけるようなところがある。
いいじゃないですか、バカでも。がむしゃらに目標を持って、取り組むことをやればいいのに。もったいないなって思いますよ」
「古臭い言葉だけど、国を背負って戦ってほしい」
今の代表選手に対してエールを送ることはおこがましいと考えている。「古臭い言葉だけど、国を背負って戦ってほしい」と言う。
当時の代表選手と今でも時折、顔を合わせることがある。「キャップ1なんて、代表のことは分からないよ」とイジられることもある。
いやいや、1試合だから知ってることもあるんじゃないか。
1試合だからこそ、そこに賭けた思いも凝縮されているんじゃないか。
日本代表がいかに特別な場所か、今もこうして語れるのだから――。
箕輪を取材していて、そんなことも感じた。
箕輪義信(みのわ よしのぶ)
1976年神奈川県川崎市生まれ。DF。1999年に仙台大学からジュビロ磐田へ。2000年に川崎フロンターレへ移籍。その後レギュラーとして活躍も、故障や病気もあり'08年にコンサドーレ札幌へ。'10年に札幌との契約終了。翌'11年に現役引退。体育教師として'12年より神奈川県立新城高校に赴任。'17年より菅高校へ。