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「慎二さんが来なかったらクビに」
西武が涙で送った名コーチ・森慎二。
posted2017/07/03 17:00
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Kyodo News
人はこんなにも急に去ってしまうものなのか。
球場へ向かうユニホーム姿の大勢のファン。ストレッチで体をほぐす選手たち。そこにいる人たちに笑顔がないことを除けば、試合開始前の球場の風景は、ほんの数日前と何も変わらない。
球場に隣接したビルに設けられた献花台。背番号89の姿が見えないグラウンド。徐々に、現実が突きつけられて実感する。それだけ森慎二投手コーチの訃報は突然だった。
森コーチは去る6月25日のソフトバンク戦の試合前に体調不良を訴え、福岡市内の病院に入院した。2日後、森コーチの休養と、西口文也二軍投手コーチが代理として一軍に帯同することが発表された。
翌28日、容態が急変。多臓器不全でこの世を去った。42歳の若さだった。
30日の試合前、献花台を訪れた西武ライオンズの後藤高志オーナーは言った。
「本当に残念としか言いようがありません。人生、まだまだこれからというとき。彼の無念さを思うとわたしもつらい。でも志半ばでこのようなことになって、いちばん悔しいのは森コーチ自身だと思います。我々は彼の意思を継いで、選手ひとりひとりがより強くなって、優勝を目指し、一丸となって戦っていかなければいけないと思います」
クローザー、そして中継ぎとして西武を勝たせてきた。
森慎二は1997年、ドラフト2位で新日鉄君津から西武ライオンズに入団した。初登板は同年4月27日の日本ハム戦。先発の即戦力として期待され、プロ野球人生をスタートした。
'97、'98年と連続で日本シリーズに出場し、2000年からはリリーフに転向した。150キロを超えるストレートと、鋭く落ちるフォークボールを武器にクローザーとして活躍し、23セーブを記録する。その後、2001年からはクローザーのポジションを豊田清(現・巨人コーチ)が務め、森は中継ぎとしてリードしている場面でマウンドに向かった。
2002年、2003年には2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を受賞。森、豊田のリレーは盤石で、ライオンズの2度の優勝は両投手の活躍なくして語れない。
何より、心身ともにタフなピッチャーだった。連投に次ぐ連投でも、速球とフォークボールの威力は全く変わらなかった。