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真壁刀義、新日本を救った男の20年。
スイーツの土台は10年間の「地獄」。
posted2017/03/03 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Tadashi Shirasawa
「なげーようであっという間……あっという間のようでなげー20年だったな」
2.21新日本プロレス後楽園ホール。デビュー20周年記念試合を終えた真壁刀義は、会見場に着くと、こうコメントし始めた。
一見、ありきたりなコメントにも思えるが、真壁の言葉には実感がこもっていた。今や“スイーツ真壁”としての顔も持ち、新日本でも1、2を争う知名度を誇る。リング上でもなくてはならない存在だが、現在のトップレスラーで、彼ほどの苦労人はいない。
「20年のうち、最初の10年は地獄だったよ。長い長い地獄の日々だった。そこを抜けた、後半の10年は死に物狂いでやったから、あっという間だったね」
その最初の10年で、とくに新弟子(練習生)時代はデビューできたのが奇跡に思えるほど過酷な毎日だった。以前、筆者がインタビューした際、当時のことをこう語っている。
「新弟子の頃は、それこそ本当に地獄だったからな。合宿所からの夜逃げなんて何度も考えたけど、どうせ辞めるなら、こいつら(先輩)全員刺し殺して逮捕されりゃいいって、俺ホントに思ってたから。これマジだぜ? 大マジよ」
「要するに、辞めさせるために殴ってるわけよ」
真壁は大学卒業後、'96年4月に新日本プロレスに入門。当時は4大ドームツアーを行うなど、新日本の黄金期。リング上は華やかだったが、それを支える道場での練習は過酷を極めていた。ただでさえ厳しい練習の中で、先輩から後輩への鉄拳制裁は当たり前。暴力が日常化している“狂気の季節”でもあったのだ。
その中で、アマチュアスポーツや格闘技での目立った実績がなく、学生プロレスも経験していた真壁は、とくに先輩の標的にされた。
「要するに、辞めさせるために殴ってるわけよ。理不尽な暴力でふるいにかけてるんだよな。殴られて殴られてまた殴られて。その繰り返しでも、お前生き残れんのかよ? だったら認めてやるぜっていう世界だったからさ」