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真壁刀義、新日本を救った男の20年。
スイーツの土台は10年間の「地獄」。 

text by

堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byTadashi Shirasawa

posted2017/03/03 17:00

真壁刀義、新日本を救った男の20年。スイーツの土台は10年間の「地獄」。<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

リングに上がれば金髪にチェーンで雄々しい姿、スイーツを前にすると子供のような愛くるしさ。真壁の魅力はそのギャップにある。

「もう辞めようと思った」'05年のアキレス腱断裂。

 そして2002年に帰国すると、新日本自体が総合格闘技の人気に押され、観客減に歯止めが利かない状態。そして、のちに“暗黒時代”と呼ばれた低迷期に入っていく。

「そんなときに俺はアキレス腱を切ってるからね。俺が一番暗黒期だよ」

 2005年、新日本の看板シリーズである『G1クライマックス』で中邑真輔と対戦した際、試合中にアキレス腱を断裂し、長期欠場に追い込まれたのだ。

「あんときはね、ホントにもう辞めようと思ったんだよ。G1クライマックスという、俺自身懸けていた大会の途中でアキレス腱を切って、神様がいるのかどうか知らねえけど、ああ、『お前は向いてねえから辞めろ』って言われてるんだなって感じてさ。

 だけど、俺の足の検査のときにプライベートの友だちが病院に見舞いに来てたんだけど、検査が終わって病室のドアを開けた瞬間、そいつらが笑顔で話しながら俺を待ってる姿が見えたんだよ。そんとき、なんだか光が差してきた気がしてさ、俺ふと思ったんだよ。『ああ、こいつらのためにもう一回やらなきゃいけねえな』って。それがすべての転換期だったよ」

「いまのプロレスを全部ぶっ壊してやろうと思った」

 まだ自分には応援してくれる仲間がいる。そして真壁は、どん底から開き直って、もう一度勝負をかけていく。

「当時は棚橋(弘至)と中邑がベビーフェイスでプッシュされてたけど、そいつらがいくらやっても新日本の業績が振るわねえ時代。そこで俺が同じようにベビーフェイスやったってダメだよな。そもそも俺は必要とされてねえ人間なんだから。だったら、いま行なわれてるプロレスを全部ぶっ壊してやろうと思ったんだよ」

 真壁は新日本の試合だけでなく、「アパッチプロレス軍」といった、いわゆるインディー団体にも戦場を求めていく。当時はまだ、メジャーとインディーの線引きがしっかりとされていた時代。新日本の選手がインディーに出ることは、“都落ち”感があり、プライドが邪魔してなかなかできることではなかった。

【次ページ】 「罵詈雑言を浴びせられて、ゾクゾクしたよ」

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