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母の声援、身重の妻、そして甲子園。
トライアウト、23歳の夢のマウンド。
posted2016/11/15 11:30
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
NIKKAN SPORTS
今年の12球団合同トライアウトは甲子園で行われた。
何たる皮肉だと思った。
高校時代の出場の有無はともかく、かつては明るい未来を夢見て青春のすべてを懸けた舞台だ。しかし、11月12日にそこに集まった65名は、閉ざされかけた選手人生の生き残りを懸けてそのグラウンドに立ったわけだから。
しかし、ある経験者は「僕はそう思わない」と言った。
「野球人にとって甲子園は聖地そのものです。最後に、その場所で人生の勝負をさせてもらえる。もう一度花を咲かせられるのが一番。だけど、もしダメでも、甲子園で精一杯やった結果だとしたら諦めもつくと思うんです」
言葉の主は4年前に仙台で行われたトライアウトを受けた元ホークスの近田怜王(れお)。報徳学園高時代には甲子園に3度出場し、3年夏にはベスト8まで進んだサウスポーだった。その後JR西日本で野球を続けたが、昨年引退しそのまま社員として働いている。前夜に大阪で食事をし、たくさんの会話をした。その中で1人の投手の名前を出した時、近田は驚いて声を上げた。
「え、西川が受けるんですか? まだ若いですよね、アイツ」
「将来のエース候補」「次世代期待の星」と称されて。
このオフに中日ドラゴンズを戦力外となった西川健太郎。まだ23歳の右腕だ。
高卒1年目から一軍デビューを果たして先発マウンドにも立った。
2年目にはプロ初勝利を挙げた。7回2死までは完全試合という衝撃のピッチングに、ドラゴンズファンは「将来のエース候補」「次世代の期待の星」と騒ぎ立てた。
あれから多くの月日が流れたわけではない。にもかかわらず、だ。プロの厳しい現実を感じずにはいられない。
近田と西川は、かつて一緒に自主トレをした縁がある。西川はチームの先輩でありエースの吉見一起を師事して、'13年と'14年に福岡での自主トレに参加したことがあった。
吉見は言う。
「アイツは独特のストレートを投げました。球速は140キロちょっとだけど、もっと速く感じるんです」
だけど、と言葉を継ぐ。
「いい素質を持っているのに、自分の色を出すことが出来なかったのかなと思うんです」