“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER

U-23代表で異彩を放つサイドバック。
ついに南野拓実を捉えた室屋成の青春。

posted2016/01/22 07:00

 
前列左から2人目の「12番」が室屋。ついに、南野と同じ代表チームにまで駆け上がってきた。

前列左から2人目の「12番」が室屋。ついに、南野と同じ代表チームにまで駆け上がってきた。

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

 リオデジャネイロ五輪出場権獲得を果たすべく、カタールで熱戦を繰り広げているU-23日本代表。今回のAFC・U-23選手権(リオ五輪アジア最終予選)の23名のメンバーの中で、唯一の大学生として注目されている室屋成は、カタールに乗り込む3カ月前、自分自身のことをこう語っていた。

「注目度に内情が追いついていない存在」

 彼が注目度と能力のギャップを感じるのは、今回だけではなかった。彼はこのギャップを常に意識しながら、多感な十代の時期に成長し続けてきた。

 どちらかというと、彼は無名の存在からのスタートだった――。

 大阪で生まれ育った室屋が、地元のクラブチーム・ゼッセル熊取ジュニアで南野拓実とチームメイトだったのは有名な話だ。しかし当時からスター選手で、中学入学時にセレッソ大阪U-15に進み、エリート街道に乗った南野に対し、室屋はゼッセル熊取ジュニアユースでプレーをし続けるが、地方の選抜チームにも入れないような存在だった。

「拓実はもう次元が違ったし、僕と大きな差があった。もう天と地の差ですよ」

南野の存在を、むしろ自分のモチベーションに。

 南野を「雲の上の存在」と言いながら、しかし、常に負けん気は心の中でくすぶっていた。

「拓実はとにかく前向きで努力家だった。試合が始まったら、キックオフからいきなり全員を抜きにいくんですよ。そのくらい気持ちが強い選手だった。本当に負けん気が強かったですね。普段はおっちょこちょいなのに、サッカーになると『誰にも負けたくない』と気持ちを前面に出す。物凄く刺激を受けた選手の1人だし、置いていかれたくないと思っていた」

 彼は南野の存在を、自らを奮起させる起爆剤にしていたのだ。

 そして、まだ無名な存在だった室屋は、自らの運命を引き寄せる。ゼッセル熊取の監督と青森山田高校サッカー部の黒田剛監督が同じ大阪体育大学出身という縁もあり、室屋の進学の道筋を作ってくれたのだ。攻守にわたり延々と続けられるハードワークとスピード感溢れるドリブルに目をつけた黒田監督は、すぐに彼の入学を希望した。

【次ページ】 高校時代に花開いた、サイドバックとしての才能。

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