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天龍源一郎、いま振り返るプロレス人生。
馬場との約束、鶴田、原への思い――。
posted2015/12/22 16:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Tadashi Shirasawa
2015年11月15日、午後7時過ぎ。オカダ・カズチカとの引退試合に敗れた天龍源一郎は、最後の会見に臨んだ。
天龍はたった今激闘を交わした新鋭・オカダへのコメントもそこそこに、若き日を共に過ごした戦友たちに思いを馳せていた。目の前に並べられたビールを口にして、「俺が(阿修羅・)原とやりはじめた時に、最初に世の中に出たビールだったんですよね」とその味を懐かしむ。記者からの「目を閉じると、どんなレスラーが思い浮かぶか」という質問には、「(ジャイアント)馬場さんもそうですし、(ジャンボ)鶴田選手もそうですし、志半ばでね。僕のように最後までできなかった方たちのことを思い起こします」と答えた。
大相撲から全日本プロレス入団へと導いてくれた、ジャイアント馬場。三冠ヘビー級王座を争い、人気レスラーとなるきっかけを作ってくれたジャンボ鶴田。そして全日からSWS、WARと団体を渡り歩いても、名パートナーであり続けてくれた阿修羅・原。天龍の約40年に及んだプロレス人生を、今は亡きこの3人を抜きにして語ることはできない。
プロレス転向へ背中を押した、馬場との約束。
引退試合から2週間が経った、小春日和のある日。Number892号でインタビューを申し込むと、天龍は現役最後の団体「天龍プロジェクト」の代表を務める一人娘・紋奈さんを伴って現れた。歴戦の傷は深く、時折歩きにくそうにする場面も見受けられる。しかし、その表情は冬の好天と同様にカラッとしたものだった。
インタビューの聞き手を務めたのは、元東京スポーツのプロレス担当記者にして、その後フリーとなって半世紀以上リング取材を続けてきた、ライターの門馬忠雄氏。さすがは業界の生き字引とあって、まずは天龍の結婚式の秘蔵写真を持ち出して先制パンチを見舞う。天龍の相好が崩れたのを皮切りに、大相撲・二所ノ関部屋での初取材に始まる思い出話に花が咲いた。
天龍が相撲からプロレスに転向した当時、世間のプロレスラーに対する風当たりはまだ強かった。他紙の「天龍、プロレス転向へ」というスクープを追いかけて二所ノ関部屋に足を運んだ門馬氏も、部屋の関係者に冷たくあしらわれる。1976年秋場所の前にプロレス転向を表明した天龍もまた、地元からの猛反対に遭っていた。そんなとき、天龍の心にあったのはジャイアント馬場と交わした約束だったという。
「『この秋場所が終わったら全日本プロレスにお世話になります』とジャイアント馬場さんと約束していましたし、嘘はつけないなと」