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天龍源一郎、いま振り返るプロレス人生。
馬場との約束、鶴田、原への思い――。 

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photograph byTadashi Shirasawa

posted2015/12/22 16:00

天龍源一郎、いま振り返るプロレス人生。馬場との約束、鶴田、原への思い――。<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

現役最後の所属となった自らの団体「天龍プロジェクト」の代表を務める長女の紋奈さんと。

ジャンボ鶴田を一貫して「鶴田選手」と呼ぶ。

 馬場本人だけでなく、元子夫人も悩む天龍を気にして場所中に幾度も電話をくれた。あのとき馬場夫妻が背中を押していなければ、後の「ミスター・プロレス」は誕生すらしていなかったかもしれない。

 門馬氏はそんなジャイアント馬場、アントニオ猪木という日本プロレス界の二大巨星に匹敵するコンビとして、「ジャンボ鶴田&天龍源一郎」を挙げる。曰く、二人のプロレスラーとしての力量、ルックス、プライドのバランスが絶妙だったと。天龍は謙遜して否定するが、インタビューでは鶴田に抱く敬意を惜しみなく語ってくれた。それは天龍が一貫して彼を「鶴田選手」と呼ぶことにも表れている。

「ライバルというよりはずっと上の人。鶴田選手がこっちを振り向いてくれたことには感謝していますよ。やっと鶴田選手とパートナーが組めるとなって、ちょっとプロレスラーとしてのランクが上がったかなと。そう感じさせてくれましたから」

 ジャイアント馬場は1999年1月に、ジャンボ鶴田はその翌年の2000年5月にこの世を去った。そして天龍が引退を発表してから2カ月後の2015年4月、大事な人がまた一人――。

阿修羅・原へのシンパシー。

 引退試合で天龍に花束を贈呈したのはスタン・ハンセンとテリー・ファンクだったが、門馬氏はそこに8カ月前に亡くなった阿修羅・原にも加わってほしかったとこぼした。門馬氏が彼を全日に導いた経緯もあり、思い入れは深い。天龍にとっても、ラグビー日本代表だった原にはシンパシーを感じる部分があった。

「お互い燻っているものを胸に抱えた者同士だったから。俺は大相撲から、彼はラグビーの世界から来て、プロレスに対する不満があったり、過去のプライドに邪魔されて『こんなことをしていていいのか』と思ったり。だから、彼は俺と一緒に弾けられたんだと思います」

 天龍は、原にかつての自分を見ていたのだろう。

 天龍の原動力のひとつに、このプロレスに対する強烈な反骨心があるのは間違いない。だが、門馬氏がインタビューの最後にぶつけた「ここまで長くプロレスを続けられたのはなぜだろう」という問いに対する答えは、少し意外なものだった。

Number892号では、天龍源一郎が引退した現在の心境を包み隠さずに語っています。上記の3人とのさらなるエピソードはもちろん、「本当に楽しくてプロレスに没頭していた」という長州力と過ごした時間から、プロレスラーとして真の目覚めを果たしたランディ・サベージ戦まで。門馬忠雄氏によるこぼれ話満載のインタビューは、プロレスファンならずとも必読です。
その詳細はぜひ、本誌をお読みください。
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