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「駅伝には興味がないんですよ」
大迫傑が19歳で見据えていた“世界”。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAFLO
posted2015/08/22 10:00
箱根駅伝にも早稲田のエースとして出場していたが、大迫傑の目はずっとトラック競技を見つめていた。その才能が、いよいよ開花する。
ついに大迫傑が、大仕事をやってのけた。
7月18日、ベルギーのヒュースデンゾルダーで行われた「ナイト・オブ・アスレチックス」の5000メートルで、大迫(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)は、13分08秒40の日本新記録をマーク。この結果を受けて、世界陸上の代表に内定した。
これまでの日本記録は松宮隆行(現・愛知製鋼)が持っていた13分13秒20。その記録をあっさりと超え、夢の「12分台」も手の届くところにある――そう感じさせてくれるレースだった。
何より、内容が良かった。前半から集団の中で後方待機して力を温存、残り500メートルを切ってからは積極的に仕掛けて勝ちにいった。最後のスパート勝負では後れをとったものの、6位でフィニッシュ(大迫のホームページでレースの様子を見ることが出来る)。
早稲田大学時代から世界級の器と期待されていた大迫が、歴史に名を刻んだ。
これまで、大迫のトラックレースで印象に残っているものといえば、いずれも「2位」になったレースばかりだった。2012年、ロンドン・オリンピックの出場権がかかった日本選手権の10000メートルのレースでは、佐久長聖高の先輩、佐藤悠基にわずか0秒38及ばず2位。オリンピック出場を逃し、トラックを何度も、何度も拳でたたいて悔しがった。
それまで、取材のときはいつも冷静な受け答えをする大迫しか知らなかっただけに、私は衝撃を受けた。
彼の奥底には、こんな情熱が秘められていたのか……。
日本を飛び出し、アメリカでトレーニングを開始。
日本選手権では2013年、2014年も10000メートルで2位が続く。今年は5000メートルに出場し、残り100メートルの時点でリードしながら、最後は村山紘太(旭化成)に抜かれ、またも2位に終わった。
しかし、それは日本新記録への序章にしか過ぎなかった。
そして今大迫が注目を浴びているのは、日本を飛び出したからでもある。
2014年春、早稲田大学を卒業すると、日清食品グループに入る。
しかし、学生時代にアメリカの長距離界を引き上げてきたアルベルト・サラザールの下でトレーニングをしたのがきっかけで、「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」への移籍を決め、日本を離れることにした。結果を残すしかない状況へと、自分を追い込んだのだ。
今年の日本選手権では、僅差で村山に敗れたことでアメリカでトレーニングすることへの懐疑論も聞かれた。しかし、大迫のターゲットは日本選手権ではなかったのだ。