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鈴木雄介は「競歩の申し子」である。
金候補筆頭として世界陸上に挑む。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2015/08/20 10:00
ロンドン五輪では優勝候補の一角として出場したものの、36位に終わった鈴木雄介。リオ五輪に向けて、世界陸上での好記録は必須条件と言えるだろう。
競歩の申し子である。
昨年の世界ランキング1位。今年も世界ランキング1位。しかも、世界記録保持者。
世界のトップを狙える位置にたどり着いた鈴木雄介は、競歩ひと筋に歩んできた。
出身は石川県能美市。石川県と言えば、競歩王国として知られる。東京五輪に出場した斎藤和夫氏が石川県津幡町で育成強化にあたり、さらに斎藤氏の教えを受けた選手たちが引退して指導者となり、石川県の競歩の歴史は受け継がれてきた。毎年、能美市で「全日本競歩能美大会」、輪島市で「全日本競歩輪島大会」が行なわれてきたことも、石川県の競歩の地盤を築いてきた。
鈴木もまたその地で生まれ育ち、中学生で競歩へと進んだ一人だ。長距離種目から転向してくるケースも少なくない中、早い時期から競歩に取り組んできたのである。
競歩の町に生まれ、競歩にまっすぐ取り組んできた。競歩の申し子と言ってよい。
ロンドン五輪で味わった挫折と再起。
ただし、その歩みのすべてが順風満帆だったわけではない。
高校時代は世界ユース選手権1万m、大学時代は世界ジュニア選手権の1万mでともに銅メダルを獲得し、2011年の世界選手権20kmでは8位入賞するなど、実績を積み上げて臨んだ2012年のロンドン五輪。
しかし晴れの舞台で、鈴木は36位に終わる。それまでのキャリアを考えても、思いもよらない成績だった。
直接の原因は、レース中のアクシデントだった。腹筋がけいれんを起こしたことで失速。一時は先頭に立ちながら、後退を余儀なくされた。
また大会までの期間に故障があり、練習が足りなかったのも影響していた。
試合のあと、鈴木は言った。
「実力がなかったということです」
確かに、競技の世界ではアクシデントも含め実力である。あらためてフォームを見直し、スタミナの強化に精を出した。ロシアに単身渡ってのトレーニングも行った。